1014_主と交わる時間がないのではなくて、実はその気がないだけ

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年末年始

年末年始は毎日誰かと会っていてずっと家族と過ごしています。家族との時間はとても楽しいですし、僕の人生において最重要項目です。

とはいつつも、僕は一人の時間が好きな人間なので、どうにかして一人静かにゆっくりできる時間がほしいなとも思っていました。一人の時間が好きというだけでなく、一人の時間がないと息苦しくなってきて余裕がなくなる事象が発生します。それは僕にとって、一人の時間とは霊的な呼吸の時間を意味しているからです。

だから、一人の時間とは決してスマホを触ったり、動画を見たり、ゲームをしたり本を読んだりする時間ではありません。一人神様とゆっくり過ごす時間です。聖書を読む中で、正座して祈る中で、外をランニングする中で神様と交わり語りかけを待つのがとても大好きです。

一人の時間

なので、今年の年末年始はなんとか隙間時間を見つけてひとり時間を確保しようとひそかに考えていましたが、一日が始まるとあっという間に1日が終わってしまうので確保できていません。

できれば朝ゆっくりとした時間を確保したいのですが、夜遅くまで活動しており、翌朝も早くから活動が再開するので年末年始は難しいなと感じています。せいぜい、朝聖書を15分くらい読む時間とお風呂で30分くらい祈る時間だけです。

優先すべき時がある

しかし、お風呂で祈っているときに家族との時間を優先するのは正しいと思いました。なぜなら、休暇が終わるとそれぞれ仕事と保育園に行くことになり、一緒に過ごす時間は朝のわずかな時間だけになるからです。年末年始にずっと家族と一緒にいることができるのはとても感謝なことだと思いました。

しかも、おおよそ、今週末でもろもろのイベントは終わるので、土曜日くらいから時間ができるからそのときに一人の時間を持とうと思いました。それまでは毎朝の15分の聖書の時間とお風呂の祈りの時間でしのごうと思っています。

時間がないのか?

僕が最近教えられたことがあります。誰にも指摘されたくないことをあえて書いてしまうとすれば、「主と交わる時間がないのではなくて、実はその気がないだけ」ということでした。もし時間があっても僕にその気がなければ僕はきっと自分の楽しみのために時間を使うと思います。

しかし、たとえ時間がなくても主と交わりたいと思っていれば、なんとか隙間時間でその時間を確保しようと魂が動くからです。2024年は主と交わる時間がないと嘆くのではなく、時間はあるけれど、もっと交わる時間がほしいと言えるような魂の状態でありたいと思っています。

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