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ロールモデル
みなさんには「こんな大人になりたい」というロールモデルがいるでしょうか?僕には両手で数えられるくらいのロールモデルがいます。一人目は小学1年生の時の担任です。
僕は小学一年生の時点で既に社会から脱落するのが明確にわかるほど頭がよくありませんでした。通常平日の集団で受ける授業だけでは全く勉強についていけてなかったので、夏休みも一人だけ学校に通うことになりました。
その時の先生は、わざわざ、僕のやる気を引き出すために、オレンジジュースを買って来てくれて、ビーカーにオレンジジュースを入れて、目盛りの読み方を教えてくれました。そして、それを特別に飲ましてくれたのです。先生は少しも「夏休みにもこんなバカな生徒のために出勤かよ」とは思わずに、僕みたいな馬鹿を見捨てなかったのです。先生に期待されていることを子供ながらに感じました。
小学生の時から少しも変わらず
2人目は大学の時のゼミの先生です。僕は小学1年生の時から何も変わっておらず、相変わらずかなり頭が良くありませんでした。当時のゼミの先生は日本人で唯一中国語のアナウンサー試験に合格しており、中国人よりも中国語が綺麗と言われている人でした。大学での授業とは別に通訳養成学校で講師をしたり、司法通訳をしたり、とにかく、優秀な先生でした。
そんな優秀な先生のもとに全く期待できないやつが転がりこんできたのです。案の定、大学の名前を背負って参加した外部主催のスピーチコンテストで、僕は「去年」と「来年」を言い間違える大恥をかきました。さらに、2年後に全く同じ失敗をスピーチコンテストでしてしまったのです。
期待してくれている
その先生は最後の授業の時に、こんなことを言ってくれました。「人生これからよ。毎日少しづつ勉強して。そうしたら、君たちもきっと司法通訳ができるようになるよ。」
僕は4年の在籍中に2回も基本的な同じ間違いをしてしまいました。正直呆れられてもおかしくありません。しかし、先生はこんな僕にも可能性があると期待してくれていたのです。
今から思えば、この時から時間を味方にして積み上げる生き方をしようと決心したのかもしれません。
自分も期待する
人は人から期待されることで生きる力を得るものだと思います。ピグマリオン効果というのも同じだと思います。僕が先生たちの行動や言葉に励まされてこれまで生きてこれたように言葉にはとても力があります。
思いやりに満ちた言葉は心の栄養となって、心の中に刻み込まれて、人生の支えとなります。僕の周りに善良な思いやりに満ちた大人がたくさんいたからこそ、今の自分がいると思います。だから、自分もそんな人に対して期待できる人間になりたいと思いました。