0291_怠惰で弱い自分を制御する方法論

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自制することの難しさ

自分が願うとおりに自分を制御できればどれほど人生が豊かになるのだろう、と日々思います。食べたい時に我慢する。飲みたい時に飲まないようにする。眠い時に早起きする。など生理的なものから、言いたい時にぐっと我慢する。不快な時に顔に出ないようにする。買いたいものを買わないようにする。など感情的なものもあります。

もし、思いのままに制御できれば、ダイエットにも成功するでしょうし、暴飲暴食などの不健康な生活から脱却できるでしょうし、朝の有意義な時間で自分のスキルを伸ばしたりできるようになるかもしれません。

聖書には口を制することの難しさが書かれています。「ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。ヤコブ3:8」
多くの政治家が失言で失脚したり、企業が炎上したりしていますが、まさに舌を制することの難しさを表していると思います。

書くことで制御する

一般的に知られている自分自身を制御する方法の一つの方法として、言語化して自分を治めるというものがあります。無意識にあった自分の言動を言語化して意識的に客観的に見れるようにして、言葉によって自分を治めようということです。この方法はかなり効果があり、多くの人が、この言葉の力を体験しながら生活していることと思います。

たとえ、生理的に感情的にゆらぎそうになったとしても、日記や手帳、ノートなどに書くことによって、そこの言葉に引力を持たせて、自分自身を引き戻すことができるのです。時々刻々書き続けることによって、その効果は絶大なものになります。

シャウトで制御する

最近、個人的に実践していることは、ただ単に書くだけではなくて、声に出して宣言するというものです。例えば、仕事に行きたくないと思うときは「主の恵みによって今日も一日元気にがんばるぞ!」と大声でシャウトするようにしています。また、教会での奉仕がある時は、「今日も感謝して奉仕するぞ!」と大声で宣言するようにしています。そうすると、本当に主の恵みによって、仕事をすることができ、感謝の気持ちで教会の奉仕ができるようになるのです。

書くことは錨のような働きをしてくれるので「静」の働きです。話すことは、実際的に力が湧いてきたり、良い感情が沸き起こったりしますので、「動」の働きと勝手に考えています。

ある人は、疲れている時、しんどい時にはそんなこと言う気も起らない。と思うかもしれませんが、これも習慣化させれば、すぐにシャウトがでるような体になります。是非、皆さんも良質な言語をシャウトしてから一日をスタートしてみてはいかがでしょうか?もちろん、自分の力だけでは自制には限界がありますので、御霊の実である自制の実を結ぶことも忘れずに歩みたいものです。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 5:23柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
ガラテヤ 5:22