神学や教義が信仰生活に大きな影響を与える具体例 | バプタイザー

神学や教義を学ぶ

先日は神学や教義を学ぶことの重要性について書きました。なぜなら、それが実際の信仰生活、姿勢、考え方、行動、神観に大きな影響を与えるからです。いくら聖書を第一としていても、それを正しく理解できない限りは、実際の信仰生活に落とし込むことはできません。

「すべては聖霊が教えてくださる。」という前提のもと、この2000年間のキリスト教が神学や教義を形成してきました。それは聖霊の導かれるままに形成されてきたと考えるべきだと思っています。聖書には時代を区分していると書かれているからです。

使徒行伝 17:26
また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。

バプテスマを授けるお方

先日はこのようなことを知りました。それは「イエスこそがバプテスマを授けるお方である」という教えです。英語でこのように言われていました。

Jesus is the baptizer.

僕はバプタイザー(baptizer)という言葉を初めて聞き、そういう単語があるのだと初めて知りました。これに関して皆さんはどう思われるでしょうか?僕は正直別にそこを強調しなくてもいいのではないか?と思ってしまいました。

水のバプテスマと聖霊のバプテスマは明確にあります。しかし、聖霊のバプテスマを施す者がイエス様だろうが、天の父だろうが、あるいは聖霊そのものであろうが、なんでもいいだろうと思ったのです。

父から約束の聖霊を受けて

しかし、先日、使徒行伝を読んでいた時にこのような聖句が目に留まりました。

使徒行伝 2:33
それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。

なるほど、確かにイエス様が天の父から受けて聖霊を注いでくださるということが書かれていました。僕はこれまで、神が共にいてくださるという表現に関して、どちらかと言えばイエス様が共にいてくださるということをよく使っていたように思います。

しかし、現時点においては、イエス様は神の右にあげられています。イエス様は再臨の時まで見ることはできません。しかし、三位一体の神である聖霊がイエス様から僕たちに与えられたことにより、インマヌエル、神われらと共にいますが実現しているのだと今更ながらに思わされました。

どのような影響を与える?

これが神観、信仰生活、姿勢、考え方にどのような影響を与えるのでしょうか?僕はこのように思いました。まずは、神の右に座しておられるイエス様に早く会いたいという思いです。それは再臨を待ち望む姿勢です。次に今はイエス様とは離ればなれであっても同じ神である聖霊が共にいてくださる大きな喜びです。

そして、十字架での贖いを完成され、聖霊を注いでくださる状態にしてくださったイエス様への感謝です。もしイエス様がそれを成し遂げていなかったなら、僕は聖霊なるものを知らずに生きていたことでしょう。

KEEP EXPLORING

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