信仰生活が変わるのではないか
僕は若かりし頃、こんなことを思っていたことがありました。それは「教会を変えればもっと信仰生活が変わるのではないか」というようなことです。信仰とはイエス様との個人的な関係であり、主ご自身が一人ひとりを導くことを前提とすれば「教会を変える」という導きもあるでしょう。
しかし、僕の場合がそうであったように、「教会を変えればもっと信仰生活が変わるのではないか」という考えの裏には、現状の教会に対する不満がある場合も多いです。
自分がやりたいことをやりたいだけ
「教会を変えたい」という思いの裏をよりはっきり書けば「主の思い」を行うのではなくて「自分がやりたいことを教会でしたい」だけなのです。僕が信仰に入った時は主に欧米諸国の教会が世間一般のライブと同等か、それ以上の規模やクオリティーで礼拝をするというのが主流になっていました。
かたや、自分の教会は確かにワーシップソングはあるけれど、自分がやっていたバンド形式とはほど遠い。だから、もし自分の教会が欧米諸国のような形式の教会であればもっと福音宣教ができると思っていたのです。しかし、実際は自分がやりたいことをやりたいだけなのです。
教会に属さない選択肢はない
今は、自身の教会に属しながら、様々な教会の礼拝や説教や活動をYoutubeやSNSで見ることができるようになりました。そういったものを見る時に、もしかしたら「この教会はいいな」とか「若者が多くていいな」とか思うことがあるかもしれません。
しかし、僕は信仰の中心はやはりイエス様との個人的な関係であると考えています。その個人的な関係を土台として仕えるべき教会に所属するのです。なぜなら、教会を通して主は栄光を現わされるからです。主の働きにコミットしたいなら教会に属さない選択肢はありません。
自分とイエス様との関係
つまり、僕が言いたいことは教会を変えても何も変わらないということです。変えないといけないのは自分とイエス様との関係です。自身が所属する教会に対して不平や不満を持っている時点で、イエス様との関係がよろしくないことは明らかです。
僕は弱く、足元をすくわれやすい存在であるからこそいつもこのように祈っています。
「この教会において頂きありがとうございます。また兄弟姉妹、先生を与えてくださりありがとうございます。また仕える教会を与えてくださりありがとうございます。あなたの愛を増し加えてください。あなたの愛で教会を愛し兄弟姉妹を愛することができますように。」












