SNSにいるクリスチャンとどう向き合うか? | 二つの有益な方法

X(旧Twitter)

今はSNSやYouTubeなどでクリスチャンの様々な意見を聞くことができます。僕も昔X(旧Twitter)をしていた時は会ったことのない、様々なバックグラウンドをもつクリスチャンの意見や考えを知ることに楽しみを覚えていた時期がありました。ただでさえ人口の少ない希少価値のあるクリスチャンが一つのSNSに集まるということに感激を覚えてすらいたのです。

しかし、数年経過するとその考えは変わっていきました。それはメリットよりもデメリットを痛感するようになったからです。SNSにはクリスチャンであるにもかかわらず、罵詈雑言、批判、不平不満に満ちていたのです。

慣れてしまう

こういうことを書くとすぐに批判がきます。それは「クリスチャンだからだと言って完璧な人はいない。時には不平不満も言いたくなる」といった具合です。僕はそういったこともあってSNSアカウントを削除してしまいました。

本当によく気をつけないとクリスチャンであってもそれが当たり前という状態に慣れてしまいます。しかし、普通に考えてみれば、罵詈雑言、批判、不平不満が神様に喜ばれないことであるのは誰でもわかります。

だって人間だものを過度に許容するならば、そこには緊張感がなくなり甘えが出てきます。そして、キリストのようになりたいという望みすら薄れてしまいます。

具体的な方法

じゃあどうすればいいのでしょうか。まず第一は「離れる」です。そういった環境に身を置かないことです。ブロックする。あるいはSNSアカウントを削除する。アプリをインストールするです。

第二は「見極める」です。批判的、愚痴、不平不満、罵詈雑言を言っているクリスチャンは完全にスルーです。なぜなら、心で思うことがあってもそれを表出するかはその人の自由です。その人はそれをわざわざそのネガティブな感情を表出したいと思えるほどのレベルにいます。かかわっても肉が活性するだけです。

キリストを知っている人

先生と言われる人を見極める一般的な方法は、教団を見る、卒業した神学校を見るといった方法がありますが、すべて公開されているわけではありません。また教団、神学校という大きなくくりではなく、結局はその「人」です。

キリスト教について知っている人よりもキリストを知っている人の言葉を聞くというのが一つのヒントです。どれだけキリスト教に関する知識があっても結局は知識の伝達にすぎません。キリストを知っている人の言葉は僕たちのいのちである霊を活性化してくれます。

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