1808_すべての土台は霊 | 生活改善や学びも、霊が整わなければ虚しくなる

自己啓発

僕は自己啓発が好きです。社会人になってから自己啓発にかなり投資してきました。お金がない時でも本を買い、無理してセミナーに参加したり音源を買ったりしていました。それには二つの理由があります。

一つは僕が社会人になるまでほとんど勉強をしてこなかったからです。つまり、22歳になるまで全くと言っていいほど勉強してこなかったのです。そのつけが社会人になって回ってきて、一発で社会不適合者認定になりました。だから今もなお学び続けています。

変わりたい

二つ目は「変わりたい」と強く願っているからです。確かにイエス様に救われた時に古い自分はイエス様の十字架につけられて死に、すべてが新しくなりました。それは実際に価値観が大きく変わったことが証明しています。

コリント人への第二の手紙 5:17
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

しかし、救われたからと言って完全になるはずがありません。それは自分を見ればよくわかります。「イエス様のようになりたい」という超絶高いハードルを自分に課して生きているのです。そうして、さらに言えば、内実は「イエス様のようになりたいという霊」と「そうはなりたくないという肉」が日々戦いながら生きています。

すべての土台

基本姿勢として、変わるためには霊、身体、精神すべてをバランスよく成長させないといけないと思っています。だからこそ、早寝早起きしたり、筋トレしたり、本を読んだり、文字を書いたり、新しい分野にチャレンジしたりしています。しかし、そのすべての土台となるのが霊です。もし霊を疎かにするならばすべては無駄です。

なぜなら、霊によらなければそれらはすべて虚しいからです。健康な体を得たとしても霊が死んでいたら意味がありません。たとえ、才能と知能に恵まれていたとしても霊が死んでいるならそれは空しいことです。

僕の原動力

もっとも、もし僕が救われていなかったら、霊が死んだ状態であったなら、僕は「変わりたい」とすら思うことはなかったでしょう。なぜなら、何をやっても死んだら終わりだからです。死んだらすべて無に帰すなら何を頑張る必要があるのでしょうか。

しかし、主は魂の救いと同時に、この地上で生きる力を与えてくださいました。主の救いこそがこの地上で生きる僕の原動力です。