心の中で罪を犯してしまう者
昨日、僕は社会不適合者であり、家庭不適合者である理由を書きました。それは、社会や家庭において心の中で罪を犯してしまう者だからです。仮に口には出さなくても、僕は心の中で罪を犯しそうになったり、罪を犯してしまっていることをよく知っています。
しかし、周りの人は知りません。なぜなら、それが言葉や態度で現れていないからです。だから、周りの人が僕のことを普通の人だと思っていても僕は依然として不適合者に変わりはありません。
一貫性がなかった
僕はそのような姿に苦悩したことがあります。それは心で思っていることとやっていることに一貫性がなかったからです。心ではとんでもないことを思っているのに態度ではそれを隠しているのです。聖書はこのような人間の心をこのように言っています。
エレミヤ書 17:9
心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。
またある人はこのように言いました。
「人の心の中はネス湖のようだ。ネス湖は水深が深く光すら届くことがない」
憎い姿を直視
しかし、僕はその苦悩から解放されました。なぜなら、たとえ、心が汚れたり変化したりしたとしても、それを教えてくれる存在を知ったからです。それこそが、聖霊です。聖霊は心の中の汚れや罪を明確に示してくれるのです。示された時は正直嫌です。なぜなら、自分の憎い姿を直視しないといけないからです。
しかし、素直に受け入れるならば、僕は悔い改めに導かれるのです。もし聖霊が教えてくれなかったら僕は心の中の汚さに気づくこともなかったでしょうし、ましては悔い改めることもなかったでしょう。
義の道へ導いてくださる
こういうもんだからと言って、のほほんと汚れた心のまま生きていたに違いありません。そうして、それを言葉や態度で表し、周りの人に迷惑をかけたり気づつけたりしていたのだと思います。実際、僕が17歳で救われるまではそのような人生を歩んでいました。
しかし、主はほむべきかな。このような哀れな存在にすらも目を留めてくださり、教え、戒め、正しくしてくださるようになりました。まだまだ訓練の途上にあります。心の中を見て絶望に近い気持ちを抱くこともあります。しかし、それでも主が悔い改めに導き、最終的には義の道へ導いてくださることに心から感謝しています。
テモテへの第二の手紙 3:16
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。













