どうしようもない者に開かれた祈りの道 | 弱さを認める者への希望

イタイおじさん

僕は自分がこのような人間であることを知っています。それは人を裁き、差別し、人を赦さず、人を妬み嫉み、不平不満を周りに言うような人間であるということです。少しでも油断すれば僕の心にはそういったことが溢れてくることを知っています。もし僕がそのような人間であることを「そういうものなんだ」とあきらめているならば、ただのイタイおじさんです。

しかし、聖書はこのようなイタイおじさんに対して希望を与えてくれるのです。それは心の貧しい者は幸いであるという真実です。

主のところに逃げ込む

上述のとおり僕は心が貧しいことを知っています。貧しすぎるがゆえに人を裁き、差別し、人を妬み嫉み、不平不満を周りに言うのです。しかし、救われた今、僕はそのような心になった時にそれらを決して放置することはありません。

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そうなったらすぐに主のところに逃げ込むのです。そして、悔い改め、主なら必ず僕を治めることが出来るという信仰を働かせるのです。

「僕はこのようなことを思ってしまいます。主よ。お許しください。そして、私は人を赦すことを選びます。あなたは完全な愛を私に注ぎ、私は完全にこのような感情から解放されることを知っています。」

主は命まで捨ててくださった

それぞれ時があることもあるでしょう。しかし、僕はこのどうしようもない者の祈りを心からする時に主はすぐに解放してくださることを知っています。なぜなら、主は僕が罪に縛られて、負の感情でがんじがらめになっているのを深く憐れんでくださるからです。

解放したいと願ってくださっているからです。だからこそ、主は命まで捨ててくださったのです。その主が今日、罪から解放してくださらないはずがありません。だから、罪からの解放の祈りは祈ればすぐきかれるのだと思います。

きれいごとではない

昔は負の感情に縛られていました。人の幸せが妬ましいと思ったこともあります。人が不幸になったら「ざまあ」と思ったことすらあります。しかし、主はほむべきかな。このような罪深い者さえも憐れんでくださって、そのような負の感情から解放してくださいました。

僕がではなく主が共にいてくださるから、主と同じ心で歩む幸いを体験させてくださいます。これはきれいごとではなく、実際に僕の心に起こった事実です。

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