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イエス様が共にいる
イエス・キリストが共にいてくださるほどの幸いはこの世にありません。しかし、それがどういった意味をもつのか、あるいはどういった体験なのかを知らないがゆえに、キリストなど必要ないという人がいるのだと思います。イエス・キリストが共にいてくださるということは、満たしであり、至福であり、平安であり、喜びであり、楽しみであります。
そして、その体験は、この地上での生活は去りゆくものであり、ほんの一瞬の時間であることを悟らせてくれます。永遠につながっていることを確信させるものなのです。人間の肉体は必ず朽ちていきます。結局は死に近づく人生です。
共にいてくださる時
しかし、聖書が教える人の価値は、この朽ちゆく肉体に希望を与えるものです。聖書には、この肉体は種として蒔かれ永遠の命に蘇ると書かれています。御国における永遠の重い栄光こそが本当の姿なのです。
死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
コリントⅠ15:42-44
もし、大切な人と死別して永遠の別れがあるとしたら、どれほど失望的でしょうか。この地上で裸で生まれて、土に帰っていくだけの人生はどれほど絶望的でしょうか。そういったことは考えないように今だけを考えて刹那的に生きるのは正しいことなのでしょうか。
聖書はこれら人間の2つの問題、罪と死の問題に明確な答えを教えとして与えるだけではなく、体験として確信させてくれるものです。
共にいることとは?
それを実現してくれるのは聖霊(Holy Spirit)にほかなりません。イエスの御霊とも言われているこのHoly Spiritこそがイエス様が共にいてくださることを確信させてくれるのです。この聖霊に満たされる時に、魂の満たし、平安、喜びが心に訪れます。それは御国の喜びの前味のようなものです。
僕はこの体験を自分だけにとどめておきたくありません。イエス様を知らない人たちと共にこの平安、喜び、楽しみを享受したいです。日本人が各地でおまつりを楽しむように、大勢の人たちとイエス様の栄光を楽しみたいです。みんなで栄光の姿のイエス様を褒め称えたいのです。
秋になると、イエス様が共にいてくださる臨在をとても強く感じます。収穫の秋に向けて福音を伝えていきたいです。