12人からなる調査部隊
今朝は通読で民数記を読みました。民数記では12人からなる部隊が調査のためカナンの地に送られます。カナンの地とは神様の約束通り、乳と蜜の流れる非常にいい土地でした。採集できる果物も大きく豊富で豊かな地だったのです。しかし、状況はそれだけではありませんでした。
そこには自分たちもはるかに大きい巨人が住んでいたのです。そこで調査部隊の10名はこのように報告します。
わたしたちはまたそこで、ネピリムから出たアナクの子孫ネピリムを見ました。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません」。
民数記 13:33
誰に対する不平不満か
つまり、約束の地は素晴らしいがそこに入ることはできないと言ったのです。これは神様の約束とは全く違います。神様の約束はそこに入れるということでした。10人の報告を聞いたイスラエルの民は「救われる前のエジプトのほうがよかった」とか「結局荒野で死ぬんだ」と文句を言いました。
この文句は一見リーダーであるモーセに対してのように思えます。しかし、彼らは神様の約束を聞いていたのにこのように言ったので、これは神様に対する不平不満、文句、不信仰の現れでした。ここで一つのことを教えられました。それはもしかしたら教会において何か文句を言いたくなるようなことがおきるかもしれません。
それは一見誰かに対する文句のように思えるかもしれませんが、実は神様に対して直接言っている文句や不平不満である可能性があるということを覚えたいと思いました。
この時歴史が動いた
次に調査部隊の残りに2名はこのようにいいました。
このとき、その地を探った者のうちのヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブは、その衣服を裂き、 イスラエルの人々の全会衆に言った、「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。 もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。
民数記 14:6-8
この時歴史が動きました。同世代でカナンの地に入れたのは神様の約束を信じたカレブとヨシュアと20歳以下の次の世代の子供たちだけになったのです。それ以外の同世代の20歳以上の人たちは今後40年間荒野でさまよい、かつそこで死ぬことになるのです。
自身の信仰生活において遠回りをした
僕はこれを読んで思いました。それは僕は自身の信仰生活において遠回りをしましたが、自分の子供には遠回りをしてほしくないということです。僕は自分勝手に生きた時期も長く、救われてもなお「オレガオレガ」で一つの種が地に落ちて死ぬことなく、ほとんど実を結ぶ生き方をしてきませんでした。だからこそ、自分の次の世代には遠回りしてほしくないと思わされたのです。