あなたは私に従ってきなさい
先日、不信仰に陥りそうになりました。しかし、主に祈った時にいつもの御言がやってきました。それは「あなたは私に従ってきなさい」という御言です。人は見える世界で生きているので見えるところによって生きてしまうのが当然です。それを無力化する方法は、イエス様を見上げるほかありません。
あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。
ペテロⅠ1:8
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
コリントⅡ4:18
自分にできることを精一杯っ主のためにする
「あなたは私に従ってきなさい」ということは、つまり、自分にできることを精一杯っ主のためにするということです。なぜなら、自分以外のものや人や環境は自分の影響の範囲外のことなので、それに対して文句や不平を言ったところで何の意味もないからです。
何の意味も生産性も建設性もないところに時間と気力を取られるのであれば、自分の影響の範囲内だけに注力したほうがいいに決まっています。見えるところは確かに宜しくないかもしれません。見えるところは人の足りなさが目につくかもしれません。
しかし、それは見ずに、命の源であり、信仰の導き手であり、その完成者であるイエス様を見上げて、自分の与えられたことに専念することのほうが神様が喜ばれることなんだと思いました。
自分の影響の範囲
とはいっても自分の影響の範囲とは、往々にして小さいものでわずかなものかもしれません。しかし、この御言が真実です。
小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
ルカ16:10
だから、小さなことで目立たないことであっても愚直に主に仕えて生きたいと思います。ウルトラCを求めることをせずに主が喜ばれるという一点に注力していきたいと思います。
彼は必ず栄え、わたしは衰える。
ヨハネ 3:30