0445_脱走したミドリガメの末路

十字架でなされたこと

主はご自身の命を僕たちのために捨ててくださいました。それはこれまでの歴史の中で、さらにこれからも未来永劫、この全宇宙で最も尊いお捧げ物です。罪に対して誰も何もなし得なかったことを、キリストは成し遂げてくださいました。

それは、約2000年前にイエス様が十字架の最後の場面で「すべてが終わった」と宣言してくださり、完了した出来事です。この最も尊い罪の赦しによって、天の父との関係が回復したのです。

何が回復したのか

それは枯れ切った枝が焚き木として今にも燃やされそうになっていたにもかかわらず、キリストによって、再び大木に接ぎ木されて、大木の豊富な養分に与るようになったことに例えられるのかもしれません。

あるいは、たまにニュースで見るように、イルカが浜辺に打ち上げられて、そのまま干上がって死んでしまう状態であったにもかかわらず、再び本来いるべき海に帰ることができて、イルカとして生きることができるようになった状態にも似ているかもしれません。

ミドリガメの末路

僕が高校生の時から飼育していミドリガメには脱走癖がありました。なんとかして、飼育ケースを這い上がって外に出ようとするのです。ある日、飼育ゲージからカメがいないことに気づきました。部屋中を探し回るとカメは部屋の端のほうでほこりまみれになって震えてカピカピになっていました。彼の命を維持するためにかかせない水から少しでも離れると彼は命を失う危険があったのです。

人間は神様なしで生きていても命があるように思ってしまいます。しかし、それは身体の命だけであって、霊的な命は死んだ状態なのです。それが回復するには、カメに水が必要なように命の源である主に帰らないといけません。

命の源

もし、天の父のもとに帰るならば、あらゆる心の楽しみ、魂の喜び、無尽蔵の知恵や知識が主のもとにあります。ダビデは詩篇でこのように歌っています。

あなたはいのちの道をわたしに示される。
あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、
あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
詩篇16:11

また、イエス様の兄弟であったヤコブはこのように言っています。

あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。
ヤコブ1:17

おっさん
■キリストがなされたことは霊の命の源である天の父との回復

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