0321_1対Nではなく、1対1を大切にしてくださる神様

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重要で緊急なこと

僕は日常生活を送る中で、今日は疲れたからとか、仕事頑張ったからなどの様々なそれらしい理由をつけて、主と交わる時間をおろそかにして、TwitterやYoutubeを優先してしまうことがあります。別にそういった娯楽が悪なのではなく、優先順位の問題で、今自分にとって緊急で重要なことは何かを問うた時に、主と交わることが優先されるのは頭では理解できているのです。

まず神の国を求める時

しかし、この肉体や精神の欲するところの引力が強く、しばしば、抗うことなく、個人的に無駄な時間を過ごしてしまうのです。例えば、仕事をする前や勉強をする前、はたまた、食事をする前や誰かと会ったりする前に、聖書を読んで祈って魂が恵まれた状態になっていると、その後の時間が非常に祝福されているのを感じるのです。

例えば、仕事の前にゆっくり霊的な食物をたっぷり体に蓄えたあとは、すごく頭がはっきりして集中力が発揮され、仕事のパフォーマンスが上がったりするのです。もちろん、仕事のパフォーマンスを上げたくて、主と向き合っているわけではありませんが、そういった副次的な効果もあると感じています。

信仰歴

たまーに、おじさんクリスチャンで自己紹介の時に「信仰歴30年です。」とおっしゃる方がいらっしゃいます。僕がひねくれているのが問題なのはわかっていますが、どういう捉え方をしようにも30年という数字を誇りに感じているようにしか思えないのです。

一般的な人間関係においても、しばらく会ったり、連絡をとったりしなくなると疎遠になったりします。30年という、いわゆる信仰歴よりも、今救われた時と同じ感動と感謝、あるいは、それ以上の感動と感謝をもって主と交わっているかが重要だと思います。

人間関係の関係残高も疎遠になったりすると、残高が自然に減って、揮発していくようにイエス様との関係も関係残高と捉えるならば、個人的に主と向き合わないと関係残高は揮発して、疎遠になっていくと思います。

個人的に向き合ってくださる神

聖書の神様は非常に個人的な神様です。1対1を重んじる神様です。1対Nではなく、1対1なのです。モーセしかり、ヤコブしかり、パウロしかり、一人ひとりと向き合い、一人ひとりとの交わりを非常に大切にしてくださっています。

ある教会の牧師の方が「天国行くときは、○○教会御一行様で行くのでなない。一人ひとりが神様の前に立つのだ」と行っていましたが、本当にそのとおりだと思います。教会に行っているからだとか、組織に属しているから、では全く不十分で、個人的に主と向きあうことを求めておられるんのだと今日強く感じました。

あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。
エレミヤ29:13-14