現在、ナイトクラブやバーの利用の自粛要請が出ていますが、小学生の頃、クラブに憧れていました。ナイトクラブではなくて、学校のクラブ活動です。
クラブの所属意識にあこがれを持っていたのかもしれません。あるいは、超暇系小学生だったので、クラブをやっている人は、多忙でかっこいいという思い込みをもっていたからかもしれません。
小学4年生からクラブ活動解禁でしたので、ずっと楽しみしていました。男子に人気があるのは、もっぱら、球技系クラブかコンピュータークラブの二択です。
定員は決まっているので、第一希望から第三希望まで用紙に記入して提出します。第一希望はコンピュータークラブ、第二希望はアウトドアクラブ、第三希望は手品クラブにしました。
当選の結果は、無慈悲にも第三希望の手品クラブになり、絶望したのを覚えています。クラブ初日の教室は、当選の結果に抗えない学生たちの無力感の空気で満たされていました。登壇した担当の教員も手品を得意とする方ではなくて、ただ単に、配置されただけの先生でした。
クラブ活動に憧れていただけに、当時は苦痛で仕方のない1年間でしたが、今から振り返ると、あの時、手品クラブに属していたからこその体験があることに気が付きました。
それから、数年後の高校の学年全体の同窓会や友人の結婚式の余興で、手品を披露する機会を与えて頂きました。もしかすると、どうでもいい手品クラブに所属していたおかげで、潜在意識に「披露するなら、手品」と頭に刷り込まれていたのかもしれません。
過去の出来事も、意外に伏線になっていて、どこかで回収できることが多いと思います。
過去のこんなどうでもいいことでも、あとから、予想もしなかった形で益になる事実があるということは、神を信じる人たちは、なおさら、神の御手の中で、万事が益となるようにしてくださるはずだと信じます。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
ローマ8:28(口語訳)
緊急事態宣言下にあっても、万事が益となることを信じて。