1418_完全な救いを得たクリスチャンに目標設定は必要か?

人間としては完全な赤ちゃんも成長する

昨日は「どうしたら人生変わりますか?」という問いに対してイエス様の救いが必要ということを書きました。イエス様の救いは完全です。しかし、完成を目指して歩まなければなりません。それは、人間としては完全な赤ちゃんが成長しないといけないことと同じです。もし救われた時がピークとするならば、あとは現状維持どころか落ちていくしかないと思っています。

僕はクリスチャンになる前から自分が嫌いでした。しかし、クリスチャンになってから自分はキリストにあって好きと思えるようになりました。しかし、それであっても自分の性格や資質などがもたらすネガティブな側面を見る時に自分が心底嫌になることがあります。

人間は安きに流されやすい

それらに対してどのように生きるか?に関して、教科書的な回答は聖書と祈りと御言になると思います。これは時々刻々イエス様と共に歩む土台になる習慣だからです。しかし僕はそれだけでも不十分だと思っています。なぜなら、人間は安きに流されやすいからです。

僕は元来自己啓発が好きだったので、昔から目標設定やタイムマネジメントなどの書籍を読んでそれを実践してきました。その中で最も効果があったのは「目標を書き出す」ということです。うさんくさいと思われるかもしれませんが、この習慣はもう10年以上も続けていて、書いた目標の多くは達成されているのです。

大谷翔平選手の目標設定

目標設定とは安きに流されやすい人間を強制してくれます。自分の思いと切り離して客観的に存在する言語が自分を動かしてくれるのです。たとえば、大谷翔平選手がマンダラートというシートに目標を書いていたというのを聞いたことがあるかもしれません。あれは一つの大目標を書いてそれを達成するために必要な中目標をさらに7個かきます。そして中目標を達成するための具体的な目標をさらに8個書くというものです。

これが非常に効果的です。これを書くだけで不思議と体が勝手に動き出します。

成熟した大人になるために目標設定は有益

たとえば僕は中目標に「宣教の実を結ぶ」というものを掲げています。そしてそれをさらに具体的な定量的な小目標に落とし込んでいます。こんな感じです。

  1. 1年に5人家に招く
  2. CSの説教を喜んでする
  3. 1年に5人の未信者に1対1で会いに行く
  4. 名前を挙げて救いのために祈る

本当に書けば体は動きます。今年はまだ一か月しか経過していませんが、既に一人家に招きました。また今週は2年振りに中国の日本語教師時代の同僚にも会いに行きます。人が根本的に変わるために必要なのは間違いなくイエス他にしてありません。それは救いが霊的な領域のことだからです。しかし、赤ちゃんが成長するように成熟した大人になるに目標設定は有益です。なぜなら、安きに流れやすい自分をコントロールしてやる必要があると感じるからです。

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