1310_無責任なCS教師で説教の奉仕からばっくれようと思った時のこと

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わざわざ公に書く必要のないこと?

先日僕はブログで嫁さんや子供よりもイエス様を愛していると書きました。

1305_もういい大人なんだから家庭を治めることくらい自分で頑張れよ

書いたもののあとから、わざわざそんなことブログで公に書かなくてもよかったよなとも思いました。しかし、そうは言っても、やはり僕が嫁さんや子供を愛することができるのは、まずイエス様が僕を愛してくださったからです。だから、イエス様よりも先に嫁さんや子供が前に出ることはありません。イエス様が僕のすべてのすべてです。

イエス様の弟子になる条件

奇しくも先日のCSの説教の奉仕ではまさにその箇所でした。

だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。
ルカによる福音書14:26

この聖書箇所のあとにはイエス様の弟子になるには、さらに自分の十字架を背負わないといけない、従う前に真剣に考える覚悟が要求される(建築と戦争のたとえ)、財産を捨てて従うこと、弟子として生きなければ意味がない(塩のたとえ)などが記載されています。

御言と向き合う

僕にとってこの箇所は非常に硬い食物です。耳に痛い聖書箇所でだいたい軽く読んでスルーしてきた箇所でした。なぜなら、この条件に照らし合わせれば僕は弟子の条件に一致していないし、一致していない者がどうして説教で語ることができようかと思ったからです。

一週間前からこの箇所を読んで向き合いましたが僕には語る資格はないと思いました。説教の当日は6時30分に起きて祈って御言と向き合って準備を進めましたが、準備を進めれば進めるほど自分には語れないと思うようになりました。

語る資格はない

説教のPPTのページを作っては削除して作っては削除してを繰り返しました。最終的にPPTを見たらすべてのページが消されていました。それは僕には何も語る資格がないということでした。僕はもう今日は教会に行くのをやめようかと思いました。

非常に無責任なCS教師かもしれませんが、この御言を自分が語るということがそれほど恐ろしかったからです。しかし、神様の前に自分はこの御言を語る資格がないと祈る中で神様は答えてくださいました。

真実な心

これは神様が語ってくださったことだと思っています。もしかしたら、僕の妄想かもしれませんが書きます。

「もし、語る資格がないと思うならそれを正直にCSの子供に話したらいいです。それであってもあなたには語れることがあります。そして、私はあなたのその嘘偽りのない真実な心を喜びます。」

この語り掛けがあったあと、すべての点と点がつながって急いでPPTを作成しました。教会に行く15分ほど前でした。そのあと急いで教会に行きましたが、僕の心はとても平安でした。

CSの説教で子供たちがどう思ったかはわかりません。しかし、神様が直接語ってくださったと信じています。

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