1244_自分の祈りは浅い

祈りのチャレンジ

ここ1年くらいは自分の中で祈りのチャレンジを受けていました。そのチャレンジとはあらゆるところで祈り、あらゆる時に祈るということです。そして、祈らなければいけないではなくて、祈りたい、祈らざるを得ないという霊的な状態になりたいというものでした。

そして、少しずつですが、祈る場所が増え、自発的に祈りたいと思えるようになってきました。ある時はみんなが帰ったオフィスで祈ることも始めました。祈ることはどこでもできると思えるようになりました。

祈りが深くなれば必ず祈りは長くなる

そういった習慣が身につき自分としては少し自信になっていました。それは、これが習慣化されれば、自身の信仰がアップダウンすることなく、主の御心知って生きる姿勢が崩れることはないと思ったからです。

しかし、神様が教えてくださったことは、僕の祈りはまだまだ浅いということでした。祈りの時間が長ければ長いほど、祈りは深くなるという相関関係はないと思いますが、祈りが深くなれば必ず祈りは長くなると思います。

祈りの中で主を賛美

僕は自身の祈りの時間にこだわってはいませんが、客観的に時間を割り出すと平均すれば15分ほどだと思いました。それが長いか短いかはよくて、問題は深さです。僕は15分での祈りはまだまだ浅いと思ったのです。深くなればもっと長くなるはずだと思いました。

祈りをより深くするための方法として一つ教えてもらったことは賛美でした。祈りの中で主を賛美すればそれがより霊的な深みへと導いてくれます。これまでは、祈りと御言の宣言と感謝ベースでの祈りであったので、自分の祈りにも賛美を取り入れようと思いました。

最も素晴らしいお方との交わり

祈りの中で賛美をすれば、賛美も深くなります。賛美が深くなれば賛美をする時にその賛美の中に主が住んでくださるようになります。そうすれば、賛美を通してもっと神様の栄光が現れるのではないかと思いました。

僕は自身に問いかけます。

なぜYoutubeを見るのは1時間も平気なのに、最も素晴らしいお方との交わりではわずか15分なのですか?それがあなたの今の霊的な状態なのです。

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