1163_それ自体はいいものなのに、人は何でも偶像にしてしまう

読書に夢中になるのは盲点だった

先週は意識的に本を読まない一週間にしました。これまでスマホは自分にとって有益な一面は20%ほどで、80%はだいたい時間の浪費になっているので離れなければいけないものだという自覚がありました。

しかし、本となると「自分の人生に役立つから」とか「教養が身につくから」とか「仕事に役立つから」という理由でなかなか本離れができていませんでした。

ごはんを食べる時も本を読み、お風呂に入る時も本を読み、仕事が終わってからの可処分時間のほとんどを本やスマホに使ってしまっていました。当然、主の前に出ることがない日々が多くなりました。僕はそういった習慣をなんとかして改善したくて1週間本絶ちをしてみたのです。

本断ちをしたのはいいが…

本絶ちをした一週間は確かに主の前に出る時間が多くなりました。お風呂に入っても何も読むものがないので、お風呂で祈ることができました。ソファーでだらだら本を読むこともないので、いつもよりも早く就寝し朝から祈ることできました。こう考えると確かに読書は僕を神様から離しているもののように思いました。

しかし、僕は1週間が経ったのでご褒美にお風呂で本を読もう!としてしまいました。そうすると、お風呂で1時間半ほど本に夢中になってしまい、結局就寝時間が遅くなり寝不足になり翌朝の体調がよくなくなるという状態になってしまいました。

本からの引力に対して

何事においても、バランスが大切です。スマホも本もそれ自体は決して悪いものではないですが、それに夢中になると心が明確に神様から離れてしまっているのがわかります。もしかしたら、スマホを長時間触ることも本を読むことも、決して罪ではないと思ってしまうことがあるかもしれません。

しかし、実際はそういったものが偶像になってしまっているということを僕はよく見逃がししまいます。偶像は偶像として存在しているのではなくて、人がそれを偶像にしてしまうのです。

次僕が取るべき作戦の一つは、本を読む前にまず聖書を読み、祈るということです。あるいは、もう一度1週間本断ちをしてみることです。それを実践してみてバランス感覚を調整してみようと思います。

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