1118_福音書が終わるとペテロに関する記述は急激に少なくなる

大人気のペテロ

クリスチャンには聖書の中に自分の好きな人物がいると思います。その中でも、福音書に登場するペテロはずば抜けて人気が高いのではないでしょうか。それは、聖書が彼の人間的な側面を余すことなく記述してくれているからだと思います。喜怒哀楽が豊かで人間的な弱さもあります。ただそれだけでなく、なによりも主イエス様を愛してやまない一途な心をもっていました。

新約聖書の大部分の多くはペテロのそういった一面が多く記載されています。中にはキリストが十字架にかかるという重大局面で主を裏切ってしまう失敗も記録されています。

ペテロに関する記述

その一方で、使徒行伝のペンテコステの日においてペテロが完全に生まれ変わったところからペテロに関する記述は著しく少なくなります。使徒行伝はパウロの存在感が大きいです。使徒行伝にはペテロがパウロに面前でなじられるというシーンも記載されています。それ以外は、わずかなページのペテロの手紙だけとなります。

これはペテロが真に生まれ変わったことを示しているのだと思います。ペテロは主が十字架にかかる前は「オレガオレガ」の人でした。福音書では、なにかと目立ちたがりたいと思っていると思われる一面がよくあります。最後の晩餐でもほかのメンバーはわからないけど、自分は絶対裏切らないと自分を強調していました。

徹底的に砕かれる体験

しかし、ペテロはイエス様の十字架によって自分が砕かれる体験をしました。ペテロは主を前において自分は見えなくてもいいと思っていたのかもしれません。栄光は主のもの、恥は我がものと思っていたのかもしれません。イエス様が生きていた時に選ばれた12使徒ではないパウロに存在感を譲るへりくだる心もあったのだと思います。

僕はついつい聖霊を受ける前のペテロに共感を覚えて慰められてしまうことがあります。もちろん、それ自体は間違いではないと思います。最も大切なのは、ペテロが聖霊を受けてから全く変わり「オレガオレガ」じゃなくなったということです。

自分はどうか?

僕自身はどうでしょうか。きっと口ではそうじゃないと言うでしょう。また心ではそうじゃないと思い込んでいるでしょう。しかし、状況や環境が変わるときっと「オレガオレガ」の一面が顔を出すと思っています。

ペテロが徹底的に十字架によって自身が砕かれる体験をしたように僕にもそのような体験が必要なのだと思いました。

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