1028_プログラミングは少し麻薬に似ている

仕事だと許しが与えられてしまう

最近気をつけないといけないと思うことがありました。それは「仕事だからというので夢中になってはいけない。」ということです。どういうことかというと、仕事というものは割りとなんでも許しが与えられるものです。

たとえば、仕事で家に帰るのが遅くなるのも、週末に仕事をするのも、無理してお客さんの要望に応えようすることも、すべて仕事なのでやるべきというふうに思ってしまうことがあります。しかし、たとえば飲み会や個人的な楽しみが理由で家に帰るのが遅くなったり週末を過ごすのは家庭的にはゆるされないことが多いと思います。少なくとも我が家ではそうです。

もしかしたら、ある人は仕事そのものが面白く楽しくて夢中になって、気づかぬうちに多くの時間を犠牲にして対応してしまうこともあるかもしれません。

珍しく夢中になった

僕はというと社会不適合者なので基本は仕事は好きじゃありません。能力的にも人格的にも資質的にも、いつもぎりぎりで限界を感じながらしています。イエス様が憐れんでくださって助けてくださっているからなんとか仕事ができているようなものです。

しかし、先日は珍しく自身がコミットしている仕事が非常に面白く感じられて珍しく定時になってもオフィスに残り続けて仕事をしてしまいました。いつもより遅めに帰宅しても頭のことは仕事のことでご飯を食べるとすぐに着手しました。そうこうしていると、なんと深夜の3時になっていたのです。

他のことを犠牲にしている

その時はじめて僕は自分が仕事をしているのではなくて、仕事に囚われていると感じました。翌日は嫁さんを病院に送っていかないといけないのに寝不足でイライラしてしまったら、これまた一つのボタンの掛け違いで1日が台無しになるかもしれないと思ってしまいました。

これはいけないと思い、翌日の土曜日は一切仕事のことは考えないし、仕事もしないと心に決めました。ようは一旦寝かせようと思ったのです。

ドーパミンとはうまく付き合う

僕の周りにはプログラミングのやり過ぎで鬱っぽくなった人がいます。僕はプログラミングは少し麻薬に似ているなと思いました。プラグラムがうまくいかないときに試行錯誤してうまくいった時に大量のドーパミンが放出されます。

だから問題にぶち当たると、ドーパミンほしさに時間を忘れて着手してしまうのだと思いました。仕事だからと行ってもプログラミングのやりすぎは良くないと反省しました。ランニングなどもかなり大量のドーパミンが放出されます。ドーパミンとはうまく付き合って行く必要があると強く感じました。

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