土日の使い方
僕のこれまでの生き方は土日で得た体と心と魂の休息を平日の仕事で完全に使い切ってカレッカレの状態で土日に飛び込むというようなものでした。土日の2日間で神様とゆっくり交わり、神の言葉を味わい魂の休息を得ます。そして、一人の時間もしっかりとって心も身体も休ませるというものでした。
しかし、ここ数年はそうとも言っていられなくなりました。まずコロナがほぼ終息状態になり、感謝なことに!?教会のあらゆる活動が通常運転に戻りました。そして、役員会や役員、CS教師などの各種業務や準備などが増えました。あとは家庭での様々な業務があります。
土日依存の生活
そうなった時に、これまでの「土日で得た体と心と魂の休息を平日の仕事で完全に使い切ってカレッカレの状態で土日に飛び込む」というスタイルではとても生活できないことがわかりました。ようは、平日毎日しっかり神様と向き合って魂の休息を得て、早寝早起きをして身体的な疲れを日常的に回復させる必要があるということです。
これがもし、土日依存の生活だったら、疲れが取れるどころか疲れがたまる一方になってしまいます。もちろん、仕事をするわけではないので、精神的ストレスはありませんし、気分転換もできるのでそういった意味ではリラックスできています。しかし、以前のような数時間というまとまった時間は自分にはないという前提で過ごさなければいけません。
油断することなく、あなたの心を守れ
そのような状況になった時に、平日に霊的な緊張感が生まれるようになりました。日常から魂が恵まれている状態にもっていっておかないと土日になっても回復できず、負のスパイラルに入っていってしまう危険性があるためです。
聖書にはこのような言葉があります。
油断することなく、あなたの心を守れ、
命の泉は、これから流れ出るからである。
箴言4:23
僕はこれまで、平日に関しては完全に油断していました。魂がカレッカレになってしまうことはしょうがないことだと思っていたからです。どうせ土日でチャージすればいいという甘えがあったのです。
目をさましていなさい
また聖書にはこのような記述もあります。
だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。
マタイ24:42
イエス・キリストの再臨が近い時に世界がどのような状態になるのかということは聖書に様々な事象が記載されています。しかし、ことクリスチャンの携挙に至っては、予兆がないというのです。だからこそ土日だけ目を覚ますのではなく、平日から目を覚まして主を待ち望まないといけないと思いました。