必要な物はすべて備えられている
教会の奉仕にしろ、仕事にしろ、家庭のことにしろ神様が僕を通して御心を実現されたいから、そのために神様が準備をしてくださいます。それはつまり、神様の御心のために僕がなにかを準備したり、何かをやったりするのではなくて、神様の一方的な恵みによって御心がなされるための必要なものもすべて与えられるということです。
自分の意志に関係ない
どういうことか具体的に書きたいと思います。今週は重要な仕事が立て続けにありました。重要な仕事のパフォーマンスを上げるには十分な睡眠をとったほうがいいです。しかし、僕は仕事終わりにまだまだだらだらスマホを触ってしまっているので寝るのが0時を過ぎることがよくありました。
しかし、今週はリビングでの寝落ちすることが毎日のようにあり、毎日23時頃には寝ることができたのです。そのおかげで、仕事のパフォーマンスがあがり、今週の納品物は十分な余裕をもって、完全に終わらせることができました。それがなんだ!っていうんだと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は神様が仕事で助けてくださるためにそのように備えてくださったんだと信じて感謝しています。
備えられているからできるだけ
実は日常生活を送る中でこういったことは意外に多いです。ともすれば、クリスチャンは神様のために何かをすることに重点が置かれてしまうことがあると思います。それは奉仕もそうです。自分が神様のために何かをするということに意識が向きがちです。それは僕自身がそうです。どうしても奉仕が立て続けに続いたり、奉仕が増えるとそういうふうに思ってしまうことがあります。
しかし、よくよく考えてみれば、確かに何かをしているのは自分かもしれませんが、それをするために必要なものを備えてくださっているのはすべて神様です。健康な体、風邪を引かない、アイディアが湧いてくる、知恵が与えられる、御言が与えられる、賛美が沸き起こってくる、などなどすべて神様から与えられてできているだけにすぎません。
まず神の国と神の義とを求める
そう思うと気持ちがかなり楽になりました。もし、このお方に信頼すれば、御心に沿ったことために本当に必要なものをすべて備えてくださると思ったからです。それは、昔から耳にタコができるほど聴いてきた御言にすぎないことなのですが、37歳にしてようやく少し体験に近づいたのかなと思いました。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
マタイ6:33-34