炎天下
最近鬼のように暑いです。エアコンをつけずに寝ていると完全に熱帯夜状態で眠りがかなり浅くなってしまっています。また通勤途中に15分ほど歩くのですが、炎天下にさらされると、ドラクエの毒沼の上を歩くが如くHPが明確に減っていくのが感じられます。
しかも、生まれつき多汗症ぎみなので、汗がダラダラたれてきて、Tシャツもビショビショになってしまいます。仕事する前から汗だくのおっさん状態なので、モチベーションもなにもないです。ただただ、自分自身が不快でしかたがありません。
木陰の存在感
ギラギラ照りつける太陽の下を歩いていて思ったことがあります。それは信号待ち付近にある木の木陰に入るだけで体感温度が10度くらい変わるということです。気温は変わらないのに、木陰の下はこんなにも涼しいんだと感動しました。
なぜ涼しいかというと、大樹が照りつける太陽の光を僕のかわりに受けてくれているからです。しかもそれは僕一人だけが享受できるものではなく、複数人木陰に入ることができるのです。しかも大樹は暑くても文句を言いません。本当に素晴らしいと思いました。
雲が守る
木陰に立っている時に出エジプトしたイスラエル民族を思いました。彼らはここよりももっと暑いところで、さらに荒野なので、照り返しもひどかったはずです。そんな中、1日歩けばすぐに脱水症になって倒れていたでしょう。
しかし、憐れみ深い神はイスラエル民族の上に雲をもたらしたのです。雲は当然大樹よりも広範囲でもっと多くの人を暑さから守ることができます。神様の恵みは本当に大きいと実感しました。
守りの中で歩む
その一方で、イスラエルの民族は目的地に向かってあるき続けるということはしなければなりませんでした。それが彼ら側の責務でした。僕たちも同じかもしれません。日々、日常で主の守りや助けがあります。それは炎天下にある雲のようなものです。
しかし、その守りの中でたとえ、多少暑かったとしても歩みを止めてはならないのです。僕は無精者なのでエアコン聞いた部屋でずっと祈るのではだめですか?と神様に言いたくなりますが、神様の思いはそうではなく、神の守りの中で僕が自分自身で足を一歩一歩を踏み出して進んでいくことのようです。
今日も暑いですが主にあって生きます。
昼は暑さをふせぐ陰となり、また暴風と雨を避けて隠れる所となる。
イザヤ4:6