無気力系男子
僕は生まれつき無気力系なので、基本的に何もしたくありません。できれば楽して生きたいし、1日中寝てすごしたいと思っています。過去の自分だったらきっとベーシックインカムのような制度を心から待っていると思います。自分には負荷をかけたくないから、とりあえず最低限人としての生活ができればいい、と思っていました。
何くそ根性や、追いつき追い越せといった上昇志向も持っていなかったので、何のために生きていいかわかっていませんでした。物欲もないし、ただただ、刹那的な楽しみのためだけに生きていたように思います。
キリストとの交わりの中で①
しかし、イエス・キリストに出会ってからすべてが変わりました。一つは「生きる力が与えられた」ことです。実は今でも「この仕事したくないな~」とか「この業務に対するモチベーションないわ~」と思ったりしてしまいます。しかし、イエス様に近づく時に、祈る時に、不思議とやる気が湧いてくるのです。そして、やる気力だけでなく、その仕事や業務遂行に必要な知恵や知識やアイデアまで与えられます。
こんな書き方をすると、ご利益宗教感が出てしまうのでとても嫌なのですが、別に神様に「仕事に必要な知恵や知識やアイデアをください!」と祈らなくても、イエス様との交わりを最優先すればすべてが添えて与えられます。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
マタイ6:33
キリストとの交わりの中で②
次は、「心から人に仕えたい」という愛が与えられることです。これまで、様々な自己啓発書を読んできて、お客様の立場になって、お客様に寄り添ってなどたくさんの知識を得てきました。しかし、心からその気持ちがない僕は小手先のテクニックだけで対応するので、全く自分の言動に一貫性がありませんでした。
しかし、イエス様に近づく時に、祈る時に、不思議と心から仕えたいという気持ちが湧いてくるのです。そして、仕えたい気持ちだけでなく、その仕事や業務遂行に必要な寛容さや思いやりまで与えられます。
こんな書き方をすると、ご利益宗教感が出てしまうのでとても嫌なのですが、別に神様に「人とのかかわりで必要な寛容さや思いやりを与えてください!」と祈らなくても、イエス様との交わりを最優先すればすべてが添えて与えられます。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
マタイ6:33
求めるものはただ一つ
だから、今日も自分のことはよそにおいておいて、イエス様だけを求めて夜のお祈りに備えたいと思います。