畏怖の念が湧く
最近、ランニングを再開しました。ストレス解消にもよくておかげで体調がだいぶ良くなりました。ランニングは有酸素運動以上の多くの効能があることを再度認識しました。まず、走ることで刻一刻と変化する景色がとても面白いです。目に楽しいのです。特に夕日や朝日が見えると身近な景色が震えるほどの絶景に変わります。遠くの観光地に行かなくても、身近なところに絶景があると思いました。
神様が摂理と秩序の中で、この世界を支配しておられてることに畏怖の念が湧くとともに、このような素晴らしい景色を与えてくださっていることに感動しました。
空気感
ランニングは目に楽しいだけではありません。五感を通して空気感を楽しむこともできるのです。空気は同じに見えますが、場所によって「空気感」が全く異なります。駅前の空気、ビルとビルの間の空気、公園の空気、川辺の空気などがあります。さらに、時間帯によっても異なります。早朝の空気、朝の空気、昼の空気、夜の空気、深夜の空気があります。
ランニングする度に場所と時間によって、この空気感が変わるので、毎回違った体験をすることができるのです。この世界は考えられないほど変数が多いです。さらに、人間はその変数を感じ取ることができる繊細さを持っています。だから、全く同じ1日というものがないように、同じ場所、同じ時間のように思えても全く同じ体験はないのです。
人間を惹きつけるもの
別にランニングに限らず、ウォーキングやサイクリングなどでもいいと思います。外に一歩出ると新しい世界があるのです。しかし、現代はスマホの中に世界を見出そうとしてしまいます。たとえ、見出そうとしていなくても、そこに意識が向かうようになっています。
通知によって意識をスマホにもっていかれます。日々更新される様々な情報やゴシップに興味がないと思っていても、「つい」見てしまったりします。手軽にスマホ内でウィンドウショッピングをすることができます。目の欲を満たす動画コンテンツが無料で見れます。しかし、それよりももっといいものが身近なところにあるのです。
声を聞く
身体を持っている人間は自然と調和できると思います。人間はデジタルを使いこなしていると思っていても、人間はどこまでいっても身体をもっており、アナログです。インターフェイスとしてスマホがあるだけで、そこに身体は違和感を感じているのだと思います。
少なくとも僕の場合はそうでした。パソコンに向かって仕事をして、時間がある時はスマホを見る。「そんな生活はやめてくれ」と体が叫び出したのです。もし、自分の体の声を聞き、それに従うなら、健康な身体と精神が与えられると思います。
スマホから離れて身体の声に耳を傾ける、そういったことが必要なんじゃないかと思いました。