残念な思想
僕にはとても残念な思想がたくさんあります。魂が救われて、少しずつまともな思想になってきているとは思うのですが、まだまだ一般の人との乖離は大きいと感じています。
昨日は、僕自身に車の運転の適性がないということと車社会に対する嫌悪感があると書きました。前者は練習を重ねること、経験を積むことできっと乗り越えることができると思います。
問題は後者です。これは思想的な問題なので、書き換えをしないといけません。非常に偏屈で間違った認識であることには間違いないのです。
車社会に対する偏見①
車社会は人間の自己中心的な汚い性質が如実に表れる世界であり、人間の罪深さの縮図だと思ってしまっています。(もちろん本当はそんなことはありません。僕の考えが歪んでいるのです。)
また、二酸化炭素の大部分は排出は製造過程ではなく、物流過程にあり、持続可能な社会を次世代にバトンタッチするには現在の車社会の構造を根本から考えなおさないといけないとすら思ってしまっています。(これは本当にそうだと思っています。)
車社会に対する偏見②
もちろん、がっつりガソリン車よりはハイブリッド車のほうが環境にはいいと思いますが、正直、それで地球温暖化を防止できるはずがありません。二酸化炭素を排出しない電気自動車が有益であるとわかっているにもかかわらず、日本の自動車産業を守るために、電気自動車を全面的に推進できない日本の事情があると思います。そんなんだから、電気自動車のインフラ整備がなかなか進まないんだと思います。
結局は地球の利益よりも国益が優先されているのです。
書き換えよう!
今は、こんな卑屈、偏屈な考えを持っている人が結局、ガソリン車を運転しようとしているのだから、自分の中で整理がつかないのも無理はありません。なぜなら自身に一貫性が保たれていないからです。思想と行いが一致していないので、混乱が生じているのです。
そこで自分の都合のいいようにきれいごとで認識の書き換えを行おうと思います。
一つ目は、「自分のためにではなく、誰かの役に立つために車の運転ができるようになろう」です。たとえば送迎をしたり、引っ越しを手伝ったりすることができるようになります。
二つ目は、「日本という社会で生きるには車の運転は避けられないと腹をくくろう」です。当たり前ですが、あらゆる場面で車があったほうがいいということが増えてくると思います。
三つ目は、「きっと伝道の役に立つだろう」です。車の中での会話が福音的になることを祈ろうと思っています。