0608_車の運転に再チャレンジ

避けて通ってきたこと

皆さんはこれだけは絶対にやりたくないといものがあるでしょうか。僕には何が何でも避けて通ってきたものがあります。それは車の運転です。新卒で入った会社が普通免許を要求していたので、大学卒業前に嫌々ながら取りに行きました。教官に嫌味を言われたり罵声を浴びさせながら、同じレッスンを何回もしながらなんとか取得できました。

新卒で入った会社では、営業職で2年間ほど車の運転を余儀なくされていたのですが、あの期間を思い出すだけで嫌な思い出がフラッシュバックしそうになります。営業車で対物事故を起こしたこともあり、始末書を書かされたこともあるほど運転が下手です。

なぜ下手なのか?①

なぜ、こんなにも車の運転が下手なのかを分析してみました。まず、僕が身体的に把握、かつ制御可能な速度と空間を車は超越しています。速度は30kmくらいならまだ脳内で処理できますが、50kmとか60kmとかになると脳内で処理できなくなります。ようは刻々と変わる目の前の情報を処理できなくなるのです。

空間に関しては、せいぜい自分の半径1mくらいなら把握できると思います。これが乗用車とかになると車体感覚が全く分からなくなってしまいます。

なぜ下手なのか?②

次に、あらゆるところに気を使い続けることを1時間以上できません。これも脳内処理の問題です。当たり前ですが、車を運転する際は、前方だけでなく後方左右に注意を払いつつ、さらに刻々と変化する道路の状況を見て判断して、予測して運転しなければなりません。ガッチガチの緊張感の中で、あっという間にメモリが100%になってしまい思考停止になってしまうのです。

最後は、僕自身に偏屈的な車社会への嫌悪感があるからです。車を運転しているのは人間なので、車の数だけ意志があります。路上に出ると、意志をもった車が走り回っておりそれは一つの車社会になっています。ある人はわが物顔でスピードを出し、車線変更でも入れてくれなかったり、割り込んできたりと、人間の自己中心な行動が如実に表れる世界でもあります。特に最近は、煽り運転なども大きな問題になっています。

もう避けられない

そういった見苦しい車社会に自分が入りたくないという気持ちが非常に強いのです。しかし、そんなことばっかり言ってられません。色々な事情からどうしても車を運転するのをいよいよ避けられなくなってしまっているからです。

先日もレンタカーで練習をしました。借りに行く前に祈って運転に臨み、練習が終わったころにはかなりぐったりしていました。追い越しされる時に、相手の運転手に睨まれたりと、相変わらず、とても不快な気持ちなったりしました。

しかし、この不快な世界にもなれなければなりません。祈って気を引き締めて車の運転にチャレンジしていきたいです。

おっさん
■みんなが当たり前にできることが、ある人にとって当たり前にできるわけではないことがある

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