奇跡をなさる神
先日、以前からなんとなくぼんやりと違和感を抱いていた事が雲が晴れるように明らかになったので、書いておこうと思います。キリスト教は福音を受け入れる者の心にこの世が与え得ない喜びと平安をもたらすと同時に神様の深い愛の関係の中へと導いてくれるものです。さらにそれだけでなく、多くのしるしや不思議、奇跡が伴ってきました。
病が癒やされたり、目が見えるようになったり、時には死んだ人が蘇るといった奇跡もおきました。それは聖書に記載されている書物だけの出来事だけでなく、今生きている世界中でおきていることです。たといそういった事象を現実に見ていなくても、聖書を信じ、死のうちから蘇ったキリストを信じているなら、この神様にはそういったこともできると思えます。
発展途上国で起きる奇跡
ただ、ずっと抱いていた違和感は、そういった奇跡は主に南半球であったり、発展途上国で頻繁に見られるものだということです。もちろん、先進国でもそういった奇跡はおきているし、実際に病の癒やしを体験された人も多くしっています。しかし、規模や難易度でいうと、やはり、発展途上国で福音が伝わるときに多くの奇跡が起こっているのです。
その原因の一つは明確で、不信仰だからです。イエス様が地元のナザレで奇跡ができなかったのは、地元の人達がイエス様をただの大工、つまり人間だと思っていたからにほかなりません。じゃあ、実際、日本に住んでいて、「奇跡がそれほど起こらない」のは僕たちの不信仰が原因なのでしょうか。
先進国では?
ある面ではそうだと思っています。僕の不信仰が神様の働きを制限しています。しかし、ある面では、すでに神様の恵みを存分に受けているとも思えるようになりました。
たとえば、今は医療が発達していて、こどもが生まれてもすぐに予防接種やワクチンを打つことができます。しかし、そういった医療の発達の恩恵がない時代の場合、成長することなく死んでしまうこどもが多数を占めていたのです。医療の発展や作物の生産量の向上により、栄養を十分にとれる子どもたちが増え、生きることができています。
僕は以前は、こういった医療の発展や文明の進歩は人間側の知性によって生み出されたものであり、神の知恵に相反するところがあると思いこんでいました。例えば、神様に頼っていのることなく、風邪薬に頼ると言った具合です。
すべて神の恵み
しかし、実際は、風邪薬は神様が与えてくださったものなのです。神様の恵みによって人類に与えてくれたものなんだと知りました。風邪薬を構成している物質、それを発見した人間、そして、それを調合して、作り上げた人、実はぜんぶ、神様が創造されたものなのです。
だから、一応、現在は先進国に生きている僕も、信仰がないから奇跡があまり起きないないのかなと悩むのではなくて、神様が備えて与えてくださったものに感謝しようと思いました。
いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。
コリントⅠ4:7