DenovoというDRM
ゲームは昔からゲーム開発会社とクラックする集団との戦いの歴史があり、いたちごっこがずっと続いていました。ゲームボーイであれ、プレイステーション4であれ、PCのゲームであれ、必ずクラックする者が存在していました。割と最近までは完全にクラックする側の勝利が続いていて、発売当日、あるいは発売前にクラックされるというケースも多々ありました。しかし、数年前にDenuvoというDRM(Degital Rights Manegement)が登場してから、潮目が完全に変わっています。
世界各国のクラック集団がこのDRMに手を焼いたのです。中国の有名なクラック集団はお手上げを表明しました。発売から数ヶ月経過してもクラックできないゲームが次々と出てくるようになりました。ただ完全にクラックできなくなったわけではなくて、クラックするのに時間がかかっているのだけなのです。
Denuvoの思想
そのDenuvoが最近、DLCという本体に追加ダウンロードする形式のゲームにも対応することが発表され、また注目されています。Denuvoの設計思想は非常に明確で面白いです。Denuvoはゲームを完全にクラックできないようにすることを目指していません。いずれ必ずクラックされる前提で、クラックされない期間を伸ばすことに主眼をおいています。
例えば、発売当日や発売数日後にクラックされると、「ゲームをわざわざ買わなくていいや」と思う人が出てきて、売上にかなりの影響が出てしまいます。しかし、それが数ヶ月、あるいは1年くらいまで伸ばせると、「待っていてもクラックされないなら、もう買っちゃおう。。」となるのを目論んでいるのです。
この考え方は防災や減災の考え方に似ているかもしれません。天災は必ず起こります。それを阻止することできません。しかし、それが起こった時に、ある程度防ぐ方策を打ったり、被害を低減させる方法を講じたりするのです。
クリスチャンの生き方
クリスチャンの生き方も同じような考え方ができるのではないかと思いました。クリスチャンはイエス様の十字架によって罪が赦されていますが、日々、罪を犯させようとする引力と戦っています。心の中で起こる罪、うらみ、そねみ、ねたみ、不平不満、愚痴、批判、怒り、党派心など、人と人との間で生きていると、こういった感情の罪を避けることはなかなか難しいです。
イエス様はこのように言っています。
イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。
ルカ17:1
つまり、ゲームをクラックされることが避けられないように、天災が起こることが避けられないように、誘惑が来ることも避けられないのです。その前提を持つことが精神衛生上、魂衛生上、非常に大切だと思いました。
ようは誘惑されている時に「あー自分はまた誘惑されている。なんて罪深い人間なんだ」と思う必要はないということです。誘惑が来た時点で「僕はもうやられてしまっている!」と思ってしまうと悪魔の思うつぼです。
誘惑が来ることは避けられない前提で、イエス様がおっしゃったように、誘惑におちいらないように目を覚まして祈るということが大切なんだと思いました。
■誘惑を感じた時に心が折れる必要はなく、大切なのはそこから祈ること