0455_美しい人に息をのんで

美しいもの

皆さんは「美しい」という言葉を聞いてどのようなイメージを持たれるでしょうか?容姿端麗な人、大自然の風景、アーティストの絵画や音楽、プログラミングのコードなど、見る者に息をのむような感覚を与えるものかと思います。

人間は美しいものをリスペクトし、それに憧れ、時には崇めたくなるような気持ちにさせるものとも言えるかもしれません。人間は感性がどれだけ鈍感になっていたとしても、それがたとえば主観的であっても生きている限りは美しいものを見出す生き物なんだと思います。それは本能的に美しいものを見たいという欲求があるのでしょう。

主の美しさ

イエス・キリストは美しいお方です。といってもその容姿が美しいというわけではなく、イエス・キリストが持っておられる品性が美しいのです。

罪人に関心をもち、近づき、寄り添ってくださる美しさ。神の子であるお方が人間の塵だらけの足を洗って仕えてくださる美しさ。誇らない高ぶらない天の父に栄光を帰そうとされる謙遜の美しさ。馬小屋で生まれた時から十字架に至るまでの従順の美しさ。新約聖書の四福音書を読む時に、イエス様の美しさが強烈に輝いて読む者の心を照らし輝かせます。

美しさに与る

そのイエス様の美しさは書籍の中の出来事でとどまることはありませんでした。信じる者にもその美しさを表してくださり、今も表し続けてくださっています。どれだけ自分が落伍者、敗者、怠惰な者、時には高慢な者、誇り高ぶる者であったとしても、神様の前に罪を悔い改めるならば、イエス様は美しさを見させてくださいます。

その時に、この美しいお方が共にいてくださって、自分自身も栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていく希望が沸き起こってくるのです。

主の美しさを賛美する

このイエス様の美しさのゆえに、クリスチャンは賛美します。十字架の上でなされた罪の赦しの御わざを褒めたたえます。また、イエス様の品性、愛、謙遜、従順に感動して主を褒めたたえます。

この世の美しさは一時的なものであり、劣化もします。また、見飽きることもあります。しかし、永遠に見極めることのできない美しさをもったお方はただ一人イエス様ご自身です。

おっさん
■この世の美しさは過ぎ去る
■しかし、主の美しさはとこしえまで続く

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