0403_主を畏れることを知ること

整骨院での診療

先日、整骨院に行ってきました。足の痛み、腰痛が日常的になってきたので、さすがによろしくないと思ったからです。診療では先生が言われるままに立ったり歩いたり、動かしたりして、色々測定してもらった結果、なんと足首の向きがおかしいということが判明しました。さらに左右で足の大きさも違うらしく、靴選びも大胆なミスを犯していて、怪我するべくして怪我していたという事実も判明して驚愕の連続でした。

走ると右ふくろはぎに激痛が走るのも走ったあとの腰痛もすべての諸悪の根源は足首にあったのです。これまでYoutubeなどを見てランニングのフォームの改善やふくろはぎ周りのストレッチをしていたのは表面的なところの改善で、全く根本的な改善には役立っていなかったのです。

治療方針

とりあえず、足の長さと幅に合ったシューズに矯正用のインソールを入れて、走りながら歪んだ骨を矯正しつつ、治療によって直していく治療方針が提示されました。これまでの人生で靴はほとんどインターネットで買っていたので、サイズも大胆に間違っており、非常に恥ずかしい思いもしましした。なんなら、ゾゾマットでランニングシューズを買おうと思うくらい無精者だったので、正しく測定してもらってよかったです。

どうも足には縦幅と横幅があるらしく(当たり前ですが)、それぞれに合ったサイズを選ばないといけないそうです。ゾゾマットは縦幅に関しては精度はかなり高いようなんおですが、横幅に関しては精度は低いそうです。さらに、ナイキやアディダスのシューズなどは欧米人向けので横幅の狭いシューズしかないので、日本人には合っていないということも教えてもらいました。

先生から僕の体の不具合にあったストレッチ法もいくつか教えていただけたので、もっと早く整骨院に行っておくべきだったと大変悔やまれました。

知るべきこと

このように「もっと早く知っておきたかった!と」いうのは人生でよくあることです。聖書で知恵の書と言われている箴言に、まず知るべきことが書かれています。

主を恐れることは知識のはじめである。
箴言1:7

さらにこのようにも書かれています。

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、
伝道の書12:1

僕は主を畏れているのか?と自問すると、必ずしも畏れていないという答えになります。なぜなら、主ご自身の聖さやご臨在の体験がまだまだ深くないからです。もし、モーセが燃える芝の中で、主に相対した時と同じように、主の聖さに畏れ、くつを脱ぐような体験があれば、知識の上だけでなく、本当の意味で、行いが主を畏れるものになると思います。

引き続き、GWは祈りに徹して、主の聖さを求めていきたいと思います。

おっさん
■知るべきことは主を畏れること。

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