最後は祈りにいきつく
最近、仕事やプライベートで心の余裕が全くなく、非常に心と魂が渇いています。聖書を読んだり、賛美を聴いたり、説教をきいたり、信仰書を読んだりしますが、最終的には祈らないとこの魂は完全に満たされることはないところに行き着きます。
祈りは主との個人的な交わりであり、非常にプライベートな時間であり、空間です。個人的には外で祈ったりするのが好きなので、救われた時から、教会近くの山で祈ったり、山に行って祈ったりしていました。中国にいたときもよく公園に行って祈ったりしていました。とりあえず、自然の中で、人がいないところがベストです。近年だと、人気のない銭湯の露天風呂や風呂の中で祈っています。
祈りの答え
祈りはすぐに満たしがあることもあります。しかし、粘り強く、諦めずに祈り続けることを求められることもあります。その時がいつかはわかりませんが、主は決して、祈る者に対して、空手で帰されることはありません。毎回毎回、触れてくださったり、何かを教えてくださったりします。
最近は祈らないといけないような状態になっており、風呂や部屋などで祈っています。数十分経っても他のことに気が散って集中できないこともあります。30分祈っても、思っていたような圧倒的な心や魂の満たしがないときもあります。しかしそういう時は、忍耐強く祈り続ける選択をし続けます。彼は必ず求める者を良きもので満たしてくださるお方だからです。
粘り強い祈り
求めても思ったような結果にならないと思う時、その時はきっと自分が主になっている時です。必ず、主の時があります。実際、主はこれまで、ずっと、僕の求めを無視することなく、切なる求めを受け止めて、語りかけ、励まし、平安と恵みを与え続けてくださいました。だから、今回も1回、2回粘り強く祈ったと思ったとしても、答えが与えられるまでは、3回も4回も祈りに取り組んでいきます。
GWは主にしっかり向き合い、自分で「こんなもんか」と制限をするのではなく、主に自分の弱さを認めて、祈り続けます。
主はかわいた魂を満ち足らせ、
飢えた魂を良き物で満たされるからである。
詩篇107:9
■それが1回の祈りで答えがなくても粘り強く祈る時に答えてくださる