0327_メンター、パーソナルトレーナー、不思議な助言者

両車輪

浮き沈みのない、安定した巡航速度を保ったクリスチャン生活を歩むために、御言が欠かせないことは、クリスチャンであれば、誰もが認めるところだと思います。人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるものだからです。しかし、実際に生活をしていると、聖書の御言だけでは不十分だと気付かされます。御言だけでなく祈らなければ、様々な圧力、引力、重圧に負けてしまうのを経験するのです。

ある人は、聖書の御言と祈りは、それぞれ車の両車輪だと言っていました、いずれか一方が欠けたら車が走れないように、聖書の御言と祈りの両車輪が揃って初めて、山を越え谷を越え、爆走することができるのです。

肉のメンター

例えば、ビジネス書などでも、書籍を通して著者の知識を獲得できますが、一番効率的な方法は著者にメンターについてもらうことだと思います。方法、考え方、取り組み方などは手とり足取り具体的に指導してもらったほうが確実に習得できるからです。車の免許取得も学科だけでなく教官とのマンツーマンでの指導があります。また、トレーニングジムでパーソナルトレーナーをつけるのも同じことだと思います。

僕はほんの一時期、会社のプログラマーの方に就業後にプログラミングレッスンを受けたことがあります。そこで習得できたものは、書籍や動画学習サイトなどで得た知識とは全く性質が異なるものでした。僕の質問に対して、僕の現時点でのレベルにあった具体的に言語化された表現で教えてもらえるので、習得が早かったのです。

応用力

もしかしたら、聖書の言葉と祈りも書籍とメンターのような関係なのかもしれません。聖書は僕たちに真理の言葉を教えてくれます。命や力を与えてくれます。しかし、万人に対して書かれているため、高度に抽象化されており、実際の自分の生活や人生に応用するには力が必要です。もし、書籍から知識を得る場合は、地頭、応用力、我田引水力、経験、知恵などが必要になります。しかし、聖書の言葉の場合は、聖霊が助けてくださり、理解させてくださるから幸いです。

そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
コリントⅠ2:10

霊のメンター

また、イエス・キリストは世の終わりまで私達と共にいるとおっしゃってくださいました。イエス・キリストはイザヤ書で不思議な助言者と言われているように、僕たちのカウンセラーにもなってくださいます。イエス・キリストご自身がメンター的存在であり、具体的にどのように生きていいか教えてくださるのです。

すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
ローマ8:14