2022年がスタート
2022年が始まりました。これからの365日にどんなことが起こるのか、誰も予測できません。コロナ禍の感染再拡大の可能性もありますし、上昇し続けてきた株価が急速に下落するかもしれません。あるいは国内でないにしても、どこかの国の政変の影響を受けて有事となる可能性もありますし、あるいは、不可抗力的な自然災害や年末に大阪で発生した自滅的な殺人事件が起こるかもしれません。
個人に目を向けると事業の撤退や会社の倒産、自信の病気の発覚や身内での不幸などがあるかもしれせん。あるいは、将来を考えていたパートナーとの別れや様々な人間関係の問題かもしれません。こういったことは往々にして杞憂にして終わることが多いので、考えまいと思っても、ふとした時に将来への漠然とした不安を覚えることが多くあります。
どのような生き方をすべきか
聖書が教える生き方には多くのヒントがあるのですが、そのうちの一つに「天に宝を蓄える」生き方があります。聖書には地上のものに心を惹かれてはならないと書いてあります。クリスチャンには最終的に天国という永遠に存在するふるさとに帰ることが約束されているので、地上での生活は一時的なものに過ぎません。地上での生活はごそっと天国に持っていけるわけではなく、イエス・キリストのためにしたことが天国でも残り、そこですべての帳尻が会うようになるのです。聖書の言葉にこうあります。
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。
マタイ6:19-21
天に蓄える宝とは、すべての有形資産、無形資産を指します。つまり、自分の時間、金銭、能力、関係などが含まれます。僕自身はキリストの福音を伝えることに時間をつかうというよりは、自分が成長できる、あるいは表現できることに時間を使いたがります。また、時には大して益にもならないような動画をだらだら見てしまって時間を溶かしてしまうことがあります。そういった時間を聖書の言葉を反芻したり、覚えたりする時間に使えば、もっと有益な働き人になれるとわかっているにもかかわらず、そういったことをしているのです。
何のために蓄えるか
天に宝を蓄える生き方は宗教活動を熱心にすることも含まれると思います。ただ、日常生活における生き方でも天に宝を蓄える事もできると思います。インマヌエルなるイエス・キリストが共にいるなら、祈り求めるなら、神様が必ず、道を開いてくださるからです。損と思えるようなことでも、不合理でも、割に合わないと思うことがあっても、神様の思いを知り、自分の使命を知り、天に宝を蓄える一年にしたいです。なぜなら、聖書にも「むしろ自分のため〜」とつづくように、それが最終的に自分のためになるからです。