0272_キリストとの出会いは、マズローの5段階欲求説を無意味なものにする

日常の引力の強さ

クリスチャンとして生きていると思いながら、またそのように見えていたとしても、その生き方がキリストの教えから程遠いことを日々実感しながら生きています。イエス・キリストの教えは、到底人間が行えるものではなく、自己否定から始まり、日々自分の性質を悔い改め、神により頼み、その中で神の憐れみと恵みを感じつつ、実際的な助けや力を頂きながら生きていけるものです。

キリストの救済を心に受け入れて、洗礼を受けたとしても、自分からキリストのところに走っていく習慣がないと、またたく間に日常の引力に引っ張られ、自分の元来の生活や性質に満足してしまうようになることを身を以て実感しています。

立っていると思うものは倒れる

ジョン・バニヤン著の「天路歴程」にはその道がいかに険しいかが具体的に書かれています。様々な誘惑があり、それに打ち勝たないといけないのです。過去にキリストを受け入れた人もその道半ばで、キリストから離れていったように見える人もいます。もちろん、神との関係は目に見えるものではないので、実情はわかりません。アメリカのゴシップでよく話題になるのは、数千人が通うメガチャーチと言われる教会の牧師が失敗をして転落していくニュースです。

これほど、キリストに従っていく道は決して容易ではないということです。聖書に「立っていると思うものは、倒れないように気をつけないさい」とあるように、自分も神を畏れることからくる真の謙遜がないと自分も同じようなことになる危険性があると思っています。

何よりも価値のあるもの

誰でも自分をよく評価されたいという願いがあると思います。マズローの欲求5段階説は、最下層から生理的欲求、安全欲求、社会的欲求と続き、これらの欲求が満たされると、次の段階、承認欲求、自己実現、自己超越へと欲求が引き上げられると説いています。

現在の日本においては、概ね、社会的欲求までは満たされているので、次の承認欲求、自己実現が強い欲求となっていると思います。TwitterやInstagramから得られる「いいね」や「肯定的なコメント」は承認欲求を満たしてくれます。

また、自分でキャリアを描き、キャリアを積み、自分の目指す人生を歩んでいくのはごく普通のことだと思います。それが普通の考えであり、自己実現なのです。

しかし、キリストの教えは、自己否定に始まり、神の御心を知り、神実現を目指す生き方です。マズローの5段階欲求説を全く無意味なものにするほどの価値がキリストの中にはあるので、その味を知ってしまった人はキリストご自身を求めることだけを最重要事項として人生の中心にそえます。

果たして、僕はキリストにそれほどの価値を置いているのか?僕は承認がほしいのじゃないか?自己実現を目指してるのではないか?この年の瀬にもう一度、自己否定から始めて、キリストの恵の深みに入りたいと思っています。