0225_人が安息日のためにあるのではない

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安息日を守ること

聖書の一節にこのような言葉があります。

また彼らに言われた、安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
マルコ2:27

これはイエス・キリストが当時のユダヤ教の宗教指導者たちに言った言葉です。当時のパリサイ人、律法学者、祭司長たちはモーセの律法を守ること、また先祖伝来の言い伝えを厳格に守っていました。モーセの律法には安息日(当時は土曜日)を守ることが書かれており、この日を聖別する必要がありました。この日だけは労働だけでなく、買い物なども一切してはいけなかったのです。

イエス・キリストの教え

イエス様は安息日であっても、病気で苦しんでいる人を癒やしました。宗教指導者たちにとっては、安息日は病気を癒すことすらしてはならない、つまり、イエス・キリストはモーセの律法を破ったと指摘したのです。

もちろん、イエス様は「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」とおっしゃっており、モーセの律法が守られるべき重要について語っています。ここで、イエス様は当時の宗教指導者たちの教えが行いを遵守することにこだわりすぎており、神の本来の御心を台無しにしてしまっているとが問題なのだと言っていたのです。

神の御心に感謝したこと

先日会社で展示会のイベントがありました。そのイベントは木曜日〜日曜日まで4日間連日開催されるものだったので、僕は日曜日の午前中は教会に行くので、午後から参加することを伝えて了承をもらっていました。普段在宅ワークで体力が異常に落ちていたので、朝早くから夜遅くに帰ってくる日を3日続けた時点で体は相当疲弊しきっていました。しかし、翌朝は安息日(ユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日)なので、午前中は教会に行けることに大きな安堵を感じ、神に感謝しました。

もし、僕がクリスチャンじゃなかったら、わざわざ日曜日の午前中は参加できないと伝えることはなかったでしょう。しかし、神様が強制的に人間に休息を取るように安息日を設けてくださったのです。つまり、冒頭のイエス・キリストの言葉のとおりなのです。

また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
マルコ2:27-28

「日曜日は教会だから、会社を休まないといけない」という言語表現は間違いではないですが、読み手によっては正しくないかもしれません。正しくは、「日曜日は教会だから、会社を休ませていただける」というのが神の御心に沿った安息日に休む目的だと思います。

日本人は働きすぎると言われていますが、イエス・キリストは休みなさい。とおっしゃってくださっているのだと思います。なぜなら、「人の子は、安息日にもまた主なのである。」とあるからです。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
マタイ11:28