0181_赦しのちから

クリスチャン映画

先日、久しぶりにクリスチャン向けの映画を観ました。数週間前にクリスチャンの友人に強く勧められたアメリカで制作された映画だったんですが、調べてみると、ティザービジュアルが全然魅力的じゃなくて、キャストも知らない人ばかりだったので、ほとんど期待していませんでした。クリスチャン向けの映画は歴史ものはそれなりに学ぶことが多くて面白いのですが、そうじゃないクリスチャン向けの映画はどうしてもアメリカのキリスト教国という実情が日本と違うので、なかなかはいってきませんでした。

ただ、今回観た映画はかなり学ぶことが多くて、良質なクリスチャン映画だと思いましたので、ネタバレしないように感じたことを書きたいと思います。

赦しのちから

大まかなストーリーは下記のようになります。

高校のバスケットボール部のコーチ、ジョン・ハリソンは、やりたくないクロスカントリー競走のコーチをするという貧乏くじを引く。町の工場閉鎖の影響で多くの市民が町を去ったため、バスケットボールチームが解散してしまったからだ。業績主義のハリソンは、思った通りにならない自分自身を受け入れることが出来なかった。
そんなクロスカントリー部に入ったのは、暗く塞ぎがちで喘息を患ったハンナという女子生徒一人だけだ…

引用元:filmarks.com

主人公のジョン・ハリソンはクリスチャンホームの父親です。苦境に追い込まれたジョンはたまたま牧師に同行して行った病院である人に出会います。その人との出会いによって、ジョンの信仰が回復し、さらに周りの多く人たちにも多くの奇跡が生まれ始めます…

2つの質問

僕は映画の中で投げられた2つの質問が特に印象に残りました。一つ目は「あなたは何者か?」という問いです。私たちは様々な立場で生きています。ある人は、会社では〇〇会社の社員として、家庭では親や子供として、地域ではPTAの会長として、教会では〇〇奉仕の担当者として、生きています。「あなたは何者か?」と問われた時に、最初に出てくる立場がその人にとって一番重要であることを示しています。

クリスチャンにとって一番重要な立場は「神の子」であることです。僕は罪が赦された存在としての立場をどれほど感謝し、尊び、恥じることなく生きることができているかと深く内省しました。

もう一つの問いは、「本当に祈りましたか?」という問いです。ジョンはある人に対して、「あなたのために祈っています。」というのですが、その後、その人に「本当に祈ってくれましたか?」と聞かれ、祈っていない自分に気づかされるのです。この事実は僕にとっても耳に痛い問いであり、悔い改めさせられました。

信頼とは約束を守ることによって築かれます。言ったことを実行しないということは相手を裏切るだけでなく、自分に対する約束も破ってしまっており、自分への信頼も失っていることになります。祈っていると言って、祈らないことが常習化すると、次第に誠実な生き方ができなくなってしまう危険があると思いました。

岩の上に家を建てた人の生き方とは、聖書の言葉を読んでいる人ではなく、覚えている人でもなく、行っている人です。今一度、内省して、御言を聞いて行うものになりたいと思います。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
マタイ7:24