2012年11月に中国の湖南省にある衝山という山に一人で登りました。1,300m級のそんなに大したことのない山なのですが、山を完全になめてました。11月頃だったので、登るにつれて、雪が積もり始めて木には鋭いナイフのような氷柱が大量に生成されていました。なんとか頂上まで登りきったのですが、あたりは既に暗くなり始めており、徒歩で下山する時間はもうありません。
山頂には宿屋があったのですが、八つ墓村に出てきそうなじめじめした暗い雰囲気の宿でしたので、絶対に一人で宿泊したくありませんでした。途方にくれていると、陽気なおっさんがバイクで私のところに来ました。どうもお金さえ払えば、にけつで下山してくれるとのことでした。
心の中で、「主の山に備えあり!」と叫び、喜び勇んでおっさんの後ろにまたがりました。下山ルートの車道がありますが、そこそこのRがかかっているコーナーがあったり、傾斜がきつかったり、200CCばりのなかなか難易度の高いコースでした。ただ、地元のおっさんはコース精通しているはずなので、安んじておっさんの背中に身を委ねていると、まさかのおっさんが残雪にタイヤを取られて滑りました!
バイクは滑るように転倒しおっさんもろとも僕もバイクから投げ出されて反対車線にはみ出ました。奇跡的に私は擦り傷で済みましたが、おっさんは顔から血を流していました。バイクのミラーが破損していましたが、エンジンはかかるようです。
おっさんは血を流しながら、「後ろに乗れ」って言いますが、僕はもうこのおっさんが運転するバイクに乗りたくありません。でも、おっさんも報酬がかかっているのと、僕もここで置き去りにされても困るので、勇気を出して、バイクにまたがり、無事に下山しました。
生活しているだけで、様々な危険に遭遇します。僕は、自転車で居眠り運転をして転倒したり、自転車に乗っていて車に衝突されたり、バイクに乗っていてトラックにおかまをほられたり、逆にバイクで車の後ろに突っ込んだり、何度も交通事故に遭遇したことがあります。
でも、いつでも、神様が守ってくれました。神様の御手にしっかりと握られている安心と平安は何にもかえられません。神様が私達を創造した目的は明確で、わたしたち一人ひとりにはユニークの使命があります。ですから、使命を果たすまでは、決して天に召されることはないという確信があります。
生かされているなら、使命がある。天に召される時は、使命を果たした時だと信じています。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
詩篇23:4(口語訳)