0005_ニトリの浄水器は不純物を15も除去する

先日、我が家に素晴らしものが導入された。水道の蛇口に取り付けるタイプの浄水器だ。なんと15の不純物質を濾過しつつ、ミネラルは残して、蛇口からみずみずしい水を出してくれる。

水道水独特の臭みが消失していることは体感できるけど、もし、除去される15の不純物質が5に減ったとしても、わからないと思う。でも、「除去されているという事実を知ること」は大切だと実感した。たったそれだけで、水が100倍くらい美味しくなった気がして、水をガブガブ飲んでしまうほどだ。

先日、仕事でイラとしてしまうことがあり、それを言語で表現して相手に伝えようと思った。でも、ぐっとこらえて、表出することを抑制した。その日、仕事が終わって歩いて帰っている時に、改めて、やっぱり言わなくてよかった。と心底思った。

普段は表出しなくても、心の奥底で思っていることは、ふとした時に現れる。見た目は透明な水の入ったコップであっても、もし、コップの底に泥が沈殿していたなら、一度、かき回されると、またたく間に、コーヒー牛乳みたいな色になってしまう。それは地下に流れる水脈のように、ふとした時に湧き出して、あたりを水浸しにしてしまうものだ。だから、コップに沈殿した泥や苦々しい水脈やそれが噴出しそうな穴は事前に塞いでおかないといけない。

聖書の教えはこうだ。イエスの御霊とも書かれている聖霊の火が私達を聖めてくださる。その火は、私達の心の中にある不純物を燃やし、かなくずを除去し、いよいよ心の中に純度の高い尊く価値のある金だけが残る。それは、神様の働きであるから、神様に聖霊による聖めと満たしを求め続ける。

わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう。
マタイ3:11-12(口語訳)

もちろん、適切なタイミングと方法と言い方で意思表示したほうがいい場合もあるけど、今回の場合、僕は、業務に関して、その人に対して、どこか思うところがあったのだと気付かされた。その人の立場になって考えてみると、自分が一方的に裁いていることに気がついた。神様の前にへりくだり、不純物を除去していただくように求める。

水道につけた浄水器のフィルターの交換の目安は3ヶ月だ。おいしいみずみずしい水が出る浄水器のフィルターが不純物を取り除くように、自分の口から良いものだけが出るように。

わが岩、わがあがないぬしなる主よ、
どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが
あなたの前に喜ばれますように。
詩篇19:14(口語訳)

日々、イエス様に頼りつつ。