数年ぶりに銭湯
先日、数年ぶりに一人で銭湯に行きました。以前は銭湯に行かないと息がつまりそうになってしまうほど銭湯を欲する生き方をしていたのですが、結婚して間もなくしてから銭湯に行かなくてもよくなってしまいました。
なぜそうなってしまったのかはわかりません。おそらく、子どもが生まれてから、よほどのことがない限り数年に1回行くチャンスがあるかないかくらいになってしまったので、そもそも行けないし、行く必要がないと思ってしまったのかもしれません。
霊的にも魂がきれいになる場所
僕にとってこの銭湯はただ単に体を洗ってリラックスするだけの場所じゃありません。なぜなら、僕はこの銭湯でいつも2時間ほど黙想したり祈ったりしているからです。つまり、体がきれいになるだけじゃなくて霊的にも魂がきれいになる場所だったのです。
銭湯は意外にも声を出して祈るのに最適な場所です。その理由の一つは、いつも行っている銭湯は人がそれほど多くないからです。ほとんど2、3人くらいしか出入りしていません。そして、湯船に注がれるお湯が結構大きい音を立てているので、風呂に入りながら祈っても誰も気づかないのです。
大きな決断をした場所
今回も御言を口ずさんだり、主に思いを寄せたり祈ったりしました。この銭湯は僕が大きな決断をした場所でもあります。なぜなら、この銭湯での祈りで僕は母教会を離れて別の教会に行く決断をしたからです。
あの大きな決断をしてから6年近く経過しました。僕は主がこの6年間を導いてくださったことに感謝を捧げました。当時、御言が与えられるまでは不安と恐れと孤独しかありませんでした。ふとした時に母教会に帰りたくなり、いい年をしたおっさんの目から涙が落ちそうになっていたのです。
へりくだりの「へ」すらない
しかし、主はこの6年間大きな恵みと祝福を与えてくださいました。主の御言を握って一歩踏み出した時から主は確かにいつも僕と共に歩んでくださったのです。
特に僕にとっては主が与えてくださった訓練が大きな益になったと思っています。もしこの6年間の訓練がなければ僕はイタイクリスチャンのままだったと思います。いい年して自己主張して「オレガオレガ」でへりくだりの「へ」すらないような生き方をしていたのです。
造り変えてくださる
しかし、主は訓練をしてくださいました。まだまだ未熟であり、その過程にありますが、僕は喜んで主が造り変えてくださるこの道を喜んで歩んでいきたいと思っています。
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