生きた御言になる
昨日は「聖霊が御言を捉えて活性化する」ということについて書きました。それは具体的に体験なのでしょうか。まず聖霊が書かれた文字を捉えて、それを生きた御言にします。そして、その御言を信じる者の心で生きるようにしてくれるのです。
御言を読む時、黙想する時、暗唱する時、自分の中に血肉化する時に、聖霊がその人のうちで生き生きと動き始める、そのようなイメージです。
知性で読む・霊で読む
このようなことを書くと、もしかしたら「聖書の御言はそもそもすべて生きている。特定の御言だけをそのように考えるべきではない。」とおっしゃる方がいるかもしれません。聖書にも「神の言は生きていて~」のような記述もあります。
しかし、このようなことは明確に言えるのではないでしょうか。それは、聖書を読んで人生と生き方と価値観が変わる人もいれば、変わらない人もいるという点です。もちろん、結果を見て、その過程がそうだと決めつけることはできません。しかし、知識として読む体験と霊によって読む体験によって結果が変わるのは当然のことだとも思うのです。
霊で読む
これが普通の読書とは全く違う体験なのだと思います。読書と共通している読み方は、知性で読む、心を開いて読む点、自身に適用しようとして読むなどがあると思います。読書でさえも作者やその書かれた文章に対して心を開かないと何も入ってきません。
もし、「どうせこの人が書いたことなんて嘘だろう」という態度で読むなら何も入ってきません。また普通の読書体験ですら、自分に適用しようと積極的に読み込まないと、読んだ後すぐに忘れてしまいます。聖書もこういった読み方は大切ですが、もっとも大切なのはやはり霊で読むという点だと思います。
恋人からの手紙
僕は水のバプテスマを受けてから聖書を読んでいました。しかし、その聖書の言葉は残念ながら紙の上に書かれているいい言葉以上のものではなかったのです。しかし、聖霊のバプテスマを受けてからすべてが変わりました。
聖書から文字が飛び込んでくるがごとくに、熱く聖書の御言が迫ってくるのを体験したのです。それは見ず知らずの人の手紙を読んでも全く入ってこないのに、恋人や親友からの手紙だと入ってくるという違いに似ていると思います。
イエス・キリストに出会う
今も生きているイエス・キリストに出会うという体験をしてこそ、聖書の御言が生きてきます。そして、聖霊によって、御言によって語り続けてくださいます。
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