同じ覚悟で心の武装をする | 内心「きっついなぁ」と思った御言

同じ覚悟で心の武装をする

本日は教会でこの個所から御言が語られました。

ペテロの第一の手紙 4:1
このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。

この個所が朗読された時に僕は内心「きっついなぁ」と思いました。なぜなら、キリストの苦しみは十字架に架かることであり、最も親しい人、さらには天の父にまでも裏切られるという苦しみだったからです。それと同じ覚悟で心の武装をしなさいというのは非常に重く厳しい御言だと思ったからです。

イエス・キリストを着る

しかし、先生はこのような恵みに満ちた道が用意されていると語ってくださいました。それはローマ人への手紙にあるこの御言です。

ローマ人への手紙 13:12,14
夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

つまり、武装というのは光の武具を身に着けるということです。さらに言えば、イエス・キリストを着ることだとおっしゃったのです。「肉において苦しまないと!」と手に汗を握って力むというよりも、主イエス・キリストを着るだけでいいという答えだったのです。これはほかの聖書箇所で書かれている内容にも一致します。

主のくびきは負いやすい

なぜなら、主のくびきは負いやすいからです。そして主の荷は軽いからです。主は私を休ませ、また魂に休みを与えてくださいます。

マタイによる福音書 11:28-30
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

そして、牧師先生はキリストを身に着けるということは教会生活の中で身につけられていくともおっしゃっていました。つまり、教会における礼拝、賛美、証、交わりなどを通してキリストを着るということを体験するとおっしゃったのです。僕は完全に同意します。なぜなら、昨日も書いたように教会から離れてはまともなクリスチャンとして歩むことは、少なくとも僕には無理だからです。

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