1897_ワーシップムーブメントは出エジプトであり約束の地に入らないといけない | 信仰とはあり方

ワーシップムーブメント

昨日はペンテコステ派を中心としたワーシップムーブメントが変化しつつあるのではないかという持論を書きました。理由としては、パブリックな礼拝中心の信仰生活には限界があるからです。もちろん、聖霊の働きは健在です。しかし、変わり続けないといけません。

僕はペンテコステ派のワーシップムーブメントに対して肯定的です。なぜなら、僕自身がそのムーブメントの中で生ける主にお出会いし変えられたからです。もし、その聖霊の働きがなければ、主の招きがなければ、僕は主を求める生活をすることはなかったでしょう。これは主の憐れみです。

主に愚痴を言う

そして、僕はこう思うようになりました。僕が救われたこの経験はイスラエルの民にとっての紅海と同じだったということです。イスラエルの民が出エジプトし超奇跡的な神の介入により紅海が真っ二つになり、海の中を通りました。彼らは主の奇跡と救いと主の臨在を強く感じていたのです。

しかし、彼らはいつまでも、その主の奇跡と救いと主の臨在だけを求め続けました。すべては主が主権をもっておられるのに「奇跡、しるし、不思議を起こせ」と言わんばかりに主に愚痴を言ったのです。

荒野から脱出して約束の地へ入れ

驚くべきことに僕は救われてから彼らと全く同じことをしていたのです。僕は超自然的な体験を通して主にお出会いしたがゆえに、その体験を求め続けるような信仰生活になっていたのです。この信仰の変化については下記にまとめられています。

主が途方もないほどの忍耐をもって僕に語り続けられたのは一つでした。「荒野から脱出して約束の地へ入れ」ということです。約束の地とはどこでしょうか?終局的には天のふるさとでしょう。この地上における約束の地とは、絶えることのない主との深い愛の交わりの中に入り続けることです。

主と心一つになる

信仰とは「あり方」です。信仰生活を送っていると、停滞したり、バックスライドしたり、あるいは成長を感じることがあるでしょう。しかし、それらは表面上のことにすぎません。信仰生活で追求すべきは、主と心一つになることだと思っています。それこそが言い換えれば主の似姿に変えられるということです。

僕はこの約束の地に入るために、主と完全に心一つになるためにご聖霊に助けを求めつつ、自分でできる最大限の努力を尽くしていきたいと思っています。