1888_別のシステム会社にソースコードを提供する必要はあるか? | 祈って教えられた当たり前の答え

人を生かすのは聖書の言葉であり、聖霊

僕は連日、知性の実を結ぶこと、特に聖書に関する知識を書籍などから吸収することは大切であると書きました。しかし、だからといって、それに偏っていくと間違いなく魂は渇いていくことでしょう。僕は極端な人間でシンプルなことを好むので、今までこういったことで何度も行き詰ってきました。

知識はしょせん知識であり、人を生かすのは聖書の言葉であり、聖霊なのです。最も大切なのは魂の状態です。大切なととはバランスを如何に保つかです。僕のこれまでの経験上、このバランスは非常に絶妙です。

絶妙にバランスをとるもの

天秤のように一方を押しすぎたら、一方が上がりすぎるというような単純なものではありません。イメージとしてはその棒が数十本あり、絶妙にバランスをとっていく必要があると考えています。そんなことできるのでしょうか。僕自身の経験によればできません。

だから、聖霊の導きが必要なのです。ブラザーローレンスが日常のすべてのことにおいて、神の臨在を感じていたように、すべての状況において聖霊に満たされている必要があります。そうすれば、聖霊がその絶妙なバランスを保って魂を守ってくれます。

苦心して書いたコード

先日は仕事でどうしようか悩むことがありました。それはある既存のお客様に別のシステム会社が関与してきて、「ソースコードなどを提供してほしい」と連絡があったからです。少なくともこれまでの僕の仕事で、こちらが開発したソースコードを提供してほしいという依頼はありませんでした。

もし、僕が古い僕のままだったら間違いなくこう思って、実際にそう行動したでしょう。

「なんで、こちらが苦心して書いたコードをやすやすとあげないといけないんだ。向こうも時間をかけて書けばいい。」

当たり前の思い

しかし、僕の心は平安じゃりませんでした。そこで祈りました。すると、このような当たり前の思いが与えられました。

「あなたが書いたコードはあなたのものじゃない。対価としてお客さんから既にお金をもらっているのだから、お客様のものだろう。お客様のコストを下げるためならソースコードを提供してもいいはずだ。」

僕は穴があったら入りたくなりました。そしてソースコードを喜んで丁寧に提供することができました。その他、この別のシステム会社との関係については知恵が求められる局面があったのですが、そこでも正しく行動できました。

聖霊の時代

今は聖霊の時代です。いや、むしろ、2000年前からずっと聖霊の時代は続いています。このように偏狭で器の小さく、罪深い僕にはいつでも聖霊の導きが必要です。

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