声に出して祈る
「祈り」ほどクリスチャンによって捉え方に差があるものはないのではないでしょうか?賛美であればジャンルや形式を問わなければ、立ち、あるいは座って主に向かって奏楽に合わせて声を出して歌うということに大きな違いはありません。しかし、祈りは違います。祈りは非常に多様です。
「声に出して祈る」にしても多くの形式があります。まず、一人で部屋で祈るのか教会で礼拝中に祈るのかで変わります。また、内容に関しては、お願いごとをするのか?それは個人的なものか?とりなしなのか?などの違いもあります。願い事だけではなく聖書の言を宣言する祈りもあります。
異言の祈り
さらに、声を出して祈るといえば、ペンテコステ派よろしく、異言の祈りがあります。僕はペンテコステ体験を経て主に出会う体験をしたので、異言の祈りは信仰生活のごく普通のこととして受け入れてきました。その紆余曲折については下記に整理されています。
異言の祈りとは御霊に満たされる祈りです。理性で御言を宣言する祈りそれだけでも力がありますが、御霊に満たされるときに、信仰の確信をもって御言を宣言する祈りができます。
祈る時間
そして次は時間です。祈る時間ほどクリスチャンによって全く違うと思います。1日の祈りと言えば食前の祈りだけの人もいれば1日に時間を天引きして数時間祈る習慣を持っている人もいると思います。こんなことを書いたら律法主義とか言われそうですが、僕自身は1日に数時間祈るがクリスチャンとして正しいと思っています。
もちろん、人それぞれでいいと思います。ただルカによる福音書にるイエス様の祈りの天引きの姿を見ると、その足跡を従うクリスチャンとしてそれが正しいと思うからです。ある牧師先生は祈りによって自分が完全に回復するには5日~7日祈りつづけなければならないと言っていました。
質より量
祈りの関しては量より質という意見もあります。しかし、愛する方と深く交わる時間を質という言葉で片づけたくはないと思います。それは愛するお方とは何時間でも一緒にいて祈っていたいと思うものだからです。













