1764_非霊的なコンテンツは理性や肉に訴えかけようとしてくる

主に栄光を返す

以前も書いた記憶がありますが、だいぶ昔にこのようなことをX(旧Twitter)で見たことがあります。ちなみに、僕にとってX界隈のクリスチャンコミュニティーは百害あって一利なしだったので、今は全くやっていません。

「主に栄光を返すという表現はおかしい!なぜなら、栄光はもとから主が持っているものなので人が返す必要がないから!」

確かにこのツイートは最もようにも思えます。最初から栄光は主のものだからです。人間は栄光をお返しするような存在ではなくて栄光は主のものだからです。

誘惑はある

しかし、僕はこう思いました。このツイートをした人は主のためにあまり霊的な奉仕をしたことがないのだろうと。

僕は告白します。僕には主のためにしたと思った奉仕で主の栄光を横取りしようとしたことがあることを。そして、過去に救われていたのに主に明け渡していたものを再び自分のほうに引き寄せて自分の力で生きようとしていたことを。

霊的な奉仕であればあるほどその誘惑は強くなります。特に信仰に入って間もないころは、主が働かれているだけなのに何か自分のした何かによってそれが行われたかのような錯覚に陥ることがあるのです。自分の信仰生活や祈りのいかんによってできたという誘惑は常につきものです。

傲慢な生き物

僕が言いたいことは人間は傲慢な生き物なので平気で主の栄光を横取りしてしまう弱さをもっているということです。聖書に出てくる人物はそのことを体験的に知っていました。だからこそ、「すべての栄光を主にお返しします」というような表現があるのだと思っています。

XやYoutubeなどのクリスチャンコミュニティーには最もらしい言葉が溢れています。しかし、本当に玉石混交です。気をつけたいことは再生回数やチャンネル登録者数が多いからといって真実だと思わないことです。

タップしたくなるコンテンツ

僕はXは完全にノータッチです。Youtubeはどれだけサムネイルに気をひきつけるようなことが書いてあっても絶対にタップしません。知っている牧師先生の説教しか聞かないようにしています。そうしないと簡単に流されてしまうからです。僕は弱いからそうしているのです。

その理由はそれらが理性や肉に訴えかけてくるからです。Youtubeを見る時などは基本、霊は活性化していない時が多いでしょう。理性や肉が活性化している時にタップしたくなるのはそのようなコンテンツなのです。

霊的なコンテンツ

しかし、霊的なコンテンツは霊に訴えかけようとします。それは地味です。目立ちません。肉の人がききたがらないものです。それは、多くの場合、自己否定、悔い改め、人を赦すこと、委ねことなどが多いです。

僕はそのことに注意しています。だから、夜にはSNSやYoutubeは見ないようにしています。

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