友達が浮気をしている
先日、嫁さんから「友達が浮気をしている」という話を聞きました。その友達は既婚者でお子さんもいます。嫁さんにとっては大切な友人なので、なんとか思いとどまらせようと嫁さんが対面で会って説得しに行きました。しかし、反応は非常に鈍く説得はできなかったようです。話をしても「うちの旦那は」と続き、浮気をせざるを得ないのは旦那のせいだと言わんばかりだそうです。
それぞれに、それぞれの主張があり、全員の真実な言い分はわからないので何とも言えないです。旦那さんも何をしているかわかりません。しかしそうは言っても、だから、私には浮気をする権利があるとはなりません。僕もやめさせたほうがいいと思います。
意思の働き
しかし、浮気をやめさせる説得は難しいでしょう。なぜなら、恋は盲目で合理的で理性的な説得は無意味だからです。あとさき考えずに行動してしまうのです。話を聞くと、すでに盲目になり、いけないことでみんなが反対するから逆に燃えるというようなフェーズに入っているようです。
僕はここで意思について考えました。やめるか、続けるのかを決めるのは意思の働きです。その意思を感情に委ねるのか、理性に委ねるのかで結果が全く変わるのです。多くの場合、感情に委ねるほうが楽です。それはポピュリズムを見てもわかります。感情に訴えかけられてそれで行動するほうが楽なのです。
思っていることをノートに書き出す
しかし、理性は違います。ある程度まで言葉により自分を制御することができます。また高度に想像力を働かせれば、撒いた種がどうなるのか体験するように感じることもできます。だから、こういう時は感情の働きを無力化し、理性を活性化させる必要があります。
誰かと話をすればすぐに反論し感情的になります。だから、こういう時こそ、状況にあった適切な本を読むことは大切だと思います。そして感じたこと、思っていることをノートに書き出すことも重要です。
負の感情が体から切り離される
僕は中国に行って教会が半年見つからなかった時期、精神的にかなり参っていました。教会が見つからないことはもちろんのこと、授業で学生との関係がうまくいかずに悩んだのです。そして気づけば、制御できないほどの大きな怒りが自分の中にあることもわかりました。
その時、僕がしたことは思っていることをすべてノートに書き出すことです。ネガティブなこともすべて書き出します。それがデトックスになります。より詳細に書けば一時的に負の感情が体から切り離される感覚です。なぜなら、感情はほうっておくと戻ってくるからです。
イエス様の十字架
そして、僕は一旦切り離されたネガティブな感情をイエス様の十字架に張り付けました。その時、本当にイエス様は僕のネガティブなことばかりを背負ってくださってそれを除去してくださったんだと感謝が溢れました。