教会生活が重要
このブログでは一貫して教会生活が重要であることを書いてきました。その理由はいくつかあります。第一に、神様は一人のクリスチャンを命を捨てるほどに愛しておられますが、教会も同じように愛しておられるということです。そして、教会に権威を与えられました。
特に神様は教会を愛しているがゆえに「あなた」を用いてくださいます。不完全で用いるに足りない者を教会で用いてくださることは大きな恵みだと思っています。過激な表現に思えるかもしれませんが、大切なのは「あなた」ではなくて「教会」なのです。このことに関しては下記の記事に書きました。
1620_教会の主要メンバーで献身的に働かれていた方が教会から離れて開拓を始めるという話について
二人または三人が集まる
次に、教会があることによって心を一つにして主を礼拝することができます。一人でする礼拝も素晴らしいですが、二人または三人が集まり礼拝することはもっと素晴らしいことです。教会はまさにそのような場所です。
そして、教会の兄弟姉妹は祈ってくださり支えてくださいます。普段はこの兄弟姉妹の祈りの大きさに意識することは少ないかもしれないですが、これは意識していない大きな恵みだと思っています。
主が教会を愛しておられる
さらに今日強調したいことは教会の奉仕をさせていただくことができるということです。教会の奉仕は信仰生活の中心です。なぜなら、教会における奉仕を通して主は働いてくださるからです。もちろん、個人伝道も大切ですが、教会における奉仕はまた格別です。
何度も書きますが、本当に不完全で用いるに足りない者を主はわざわざ教会で用いてくださるのです。教会で奉仕させて頂くこと時に強く感じることがあります。それは「主がこの教会を心底、途方もないくらい愛しておられる」ということです。教会での奉仕の動機は主への愛と、そこから与えられる兄弟姉妹や先生への愛です。
無教会主義というのは非聖書的
最近はYoutubeでも簡単に礼拝ができます。説教も多く聞けます。しかし、もしそれだけにとどまるならば聖書的ではありません。新約聖書に教会の重要性や意義は何度も書かれています。無教会主義というのは非聖書的と言っていいと思います。
「教会は面倒だよね」「ややこしいよね」「面白くないよね」というような声が多く聞こえてくる時代であるからこそ、教会こそが人類に与えられた大きな恵みであることを心に留めたいと思います。