1581_「お前が言うな」という感想

ソロモンの箴言

最近は夫婦で箴言を通読しています。箴言は主にソロモンの知恵、教訓などが書かれていますが、処世術的なことも書かれています。つまり、信仰的なことだけにはとどまらない原理原則が記されているので、クリスチャンじゃなくても何か学ぶことができるのではないでしょうか。といっても基本は「神の前に正しく生きる知恵」になります。

箴言の最初のほう(2章~7章)は誘惑する女性に関してしつこく書かれています。たとえばこのようなことが書かれています。このようなことが何度も繰り返し書かれています。

箴言 2:16–19
慎みと悟りはまたあなたを遊女から救い、言葉の巧みな、みだらな女から救う。
彼女は若い時の友を捨て、その神に契約したことを忘れている。
その家は死に下り、その道は陰府におもむく。
すべて彼女のもとへ行く者は、帰らない、また命の道にいたらない。

箴言 5:3–5
よその女のくちびるは蜜をしたたらせ、その言葉は油よりもなめらかである。
しかしその終りは苦よもぎのように苦く、もろ刃のつるぎのように鋭い。
彼女の足は死に下り、その歩みは陰府におもむく。

彼の生涯の結末

僕は今回音読した時にこのように思いました。それは「お前が言うな」という感想です。ソロモンは主によって選ばれてられたダビデの正統な後継者です。この世的なものを求めず、主に民を裁く知恵、知識を求めました。それは主の心に叶ったものでした。そして、ダビデがなしえなかった神殿の建設もします。

しかし、列王記を読み進めていくと、彼の生涯の結末は主に喜ばれるものではなかったことがわかります。そして最終的に神の裁きが下り国は分裂することになります。

列王記上 11章1-2
さてソロモン王は、パロの娘のほかに、多くの外国の女たち、すなわちモアブの女、アンモンの女、エドムの女、シドンの女、ヘテの女を愛した。
主がかつて「あなたがたは彼らのうちに入ってはならない。彼らもあなたがたのうちに入ってはならない。必ずあなたがたの心を傾けて自分たちの神々に従わせる」と言われた国々の女たちであった。

これが僕が「お前が言うな」と思う理由です。彼は書いておきながらも自分はその通りにできなかったのです。

箴言を読む時に思うべきお方

しかし、彼が出来なかったからと言って聖書の言葉の価値は落ちるのでしょうか?書いた本人にもできなかったのだから、私達には関係ないと言えるでしょうか?決してそうではありません。聖書にははっきりと「聖書はすべて神の霊感によって書かれたもの」と書かれています。

つまり、大切なのは実際に書いたソロモンよりもゴーストライターならぬホーリースピリットライターです。そして何よりもこの三位一体なる神様、イエス様は箴言を完全に守り実行されたお方です。だから、僕が箴言を読む時に思うべきお方はイエス様だと思いました。

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